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カンボジアで毎年5000個ボール配るおじさんになったワケ

カンボジア1部プロクラブのアンコールタイガーFCの加藤です。

実は僕たち、「1child 1ball project」として、
カンボジアの子供たちに毎年ボールを5000個配ってます。
かれこれ4年で1万6000個くらい配ってます。

買収・運営を初めた最初の頃は、タイガーの個人会員1口3000円につき、
1個配る(それで収入増えたらいいなぁと思いながら笑)という形でやってたのですが、、、

ぜんっぜん集まらない。200口くらいしか集まらない。
200個しかボール配れねぇじゃん、とか思ってたけど、

途中から面倒くさくなって、毎年5000個配ることにしました。
冷静に考えると1日15個くらい配ってますね笑

よく中古ボールを日本で集めて持っていく、みたいなことも聞くのですが、それも労力と送料考えると面倒くさくて、中国で作ってます。
新品の方が子供喜ぶし。

嬉しかったのは、孤児院でサッカークリニック&ボール配りした時にいた5歳の少年の夢が「掃除をする人」⇒「アンコールタイガーの選手」に変わったこと。


ただ、これ辛いこともあります。それは、、、

それは、、、現場での空気入れ、笑。
暑い時に多い時は200~300個くらいひたすら空気を入れます。
腕にきます。メンタルやられます笑。

でも、タイガーの選手たちと一緒にサッカーをやってる子供たちを見ると、
本当に癒されます。
むしろ日本で疲れてる人はカンボジアでボール一緒に配りましょう。

ユーチューバーのEXIT JACKさんたちにも立ち寄ってくれて、
一緒に活動なんかもしました。


さて本題の、ただでさえ、
サッカー事業はド赤字なのにこんなことをボール5000個配るおじさんになったかというと、、、
19年前の約束を果たすためだったんです。

<19年前の約束>
私が貧乏旅行でカンボジアのバッタンバンという町を訪れた時のこと。
当時カンボジアは内戦明けで緊張感が高く、
ところどころにゲートがあって、銃を持った兵士が通行者をチェックしている時代でした。

貧乏旅行中では決まって、暇なときはその辺の子供たちと遊んでました。
子供たちからは比較的人気者になるので、家に来てよ、とよく招待されてたので、
そんなことを期待して「どこに住んでいるの?」とその子達に聞きました。

その少年は一切戸惑うことなく、こう答えました。
「ストリート」
その子の友達にはシンナーを吸ってる子もいました。

当時19歳だった私は心が張り裂けそうに痛みました。
そして、振り絞って聞きました。
「何か欲しいものある?」
少年は答えました。
「ボールが欲しい」

いやいや、家が先だろっ!と心の中で突っ込みましたが、、
「いつかボール持ってくるね」

と約束したのですが、それっきり。
今思うと、俺ってひどいやつだな笑。
すみません。


まあ、それはおいといて、その時に誓ったのは、

ビジネスで成功したらサッカーを通じて、
少しでも多くの笑顔が溢れるようなことをしよう。

それから15年経ち、カンボジアのプロクラブの買収の話が上がった時に、
忘れかけてたこの出来事を思い出しました。

そして、ビジネスでは全然成功してないけど、
すぐにこの「1child 1ball project」を発足させました。

あれから20年が過ぎる来年、
この「1child 1ball プロジェクト」でバッタンバンに行きます。

あの子がそのまま無事育っていれば恐らく30歳くらい。
名前も覚えていない。
元気だろうか。

誰かのお父さんとかになって、その子供が参加したりとか、
偶然会えたらいいなぁ。向こうも覚えていないだろうけど。


最後にこの活動を支援して、
タイガーの応援会員になって頂いている個人会員の皆さん、
法人会員の皆さん、本当にありがとうございます。


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