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8/3 育て親はわたし達

AI(Artificial Intelligence)というワードが日常に浸透し始めている昨今。その本質がどれだけ理解されているのかはちょっと分からない。わたし自身も理解している自信は無い。

WIRED vol.20の巻頭特集でケヴィン・ケリー氏の書籍の一部が先行公開されていた記事を読むと「なぜぼくらには人工知能が必要なのか」ということのヒントが分かるかもしれない。

検索サーヴィスよりAI

ケヴィン・ケリー氏が2002年頃にGoogleの社内パーティに参加し、創業者のラリー・ペイジと会話したときのエピソードが紹介されていた。

「ラリー、いまだによくわからないのだが、検索サーヴィスの会社は山ほどあるのに、タダでウェブ検索サーヴィスを提供するんだい?どうしてそんな気になったんだろう?」・・・・しかしペイジの返事はーいまでも忘れられないのだがー「ぼくらが本当につくっているのは、AIなんだよ」というものだった。

まず、2002年時点でそのような構想があったことに驚く。

そしてケヴィン・ケリー氏は"Googleはメインの検索サーヴィスの充実のために買収しているのではなく(つまり、AIを使って検索機能を改良しているのではなく)、検索機能を使ってAIを改良している"、という。

「イースターのウサギ」の画像検索して、結果のリストのなかから最もそれらしい画像をクリックすると、あなたはAIに「イースター・バニーとはどういう姿なのか」を教えていることになる。グーグルが毎日受けている30億回の検索要求がそれぞれ、何度も繰り返してAIのディープラーニングの教師役になっているのだ。
※WIRED vol.20より引用

スタバなうってツイートしないで

しかし、最近遊び?なのかこういうのが流行っているようだ。

こんなノイズ情報も判別できないようであれば・・という指摘があるようだが、確かにノイズへの対応というのは必要ではあると思うんだけど、意地悪な遊びをさもAIのためにやってます的な大義名分にすり替えるのはどうなんだろうか?1回見た時はクスッと笑うくらいではあるけど、何度も何度も繰り返すほど面白いことなのか?と思うんだけど、真面目すぎ?

これをAIと呼ぶかどうか

三菱電機のエアコン霧ヶ峰には「ムーブアイ mirA.I.」というAIが搭載されている。どんなものかというと、部屋をセンシングして状況を把握し、少し先の温度と湿度の変化、人の体感温度などを予測しながら最適な気流や運転モードに切り替える。というものだ。

そんなのAIじゃない!と一瞬思ったのだが、それはAIというと映画「アイアンマン」に出てくるような「JARVIS」を思い浮かべたからかもしれない。

現在多くの企業が開発しているのは目的が絞られたもので、エアコン霧ヶ峰のような温度管理はできるが車は運転できないであったり、ある特定の領域にオタク的に詳しいスペシャリストという役割だろう。

WIRED本誌に面白いことが書いてあったので紹介したい。

病院にいる人工的なWatson先生には診断に集中してもらって、「本当は金融部門の担当になればよかった」などと悩んで欲しくない。AIが進化していくと、それらに自意識が生じないようにしないといけないのかもしれない。
※WIRED vol.20より引用

人工知能の知能について考えるとき、

知能という言葉を、内省や自意識の混乱した流れの渦であるわれわれ固有の自己認識を意味するものだとすると、それは責任を負う能力を指すのではないだろうか。
※WIRED vol.20より引用

自動運転が可能なAIが責任を負う能力を持ち始めたとして、ユーザーが最短距離での運転を指示したとする。しかしルートの途中に小学生の通学路がありスクールゾーンに指定されたエリアがあることを理由に、事故を起こしてはいけないから勝手にルートを変更する、あるいはそのルートを巡ってユーザーと口論になる。そんなことが、今後起きてくるのだろうか?知能を持つというのはそういうことかもしれない。

しかし、そんな面倒がことが起きるくらいなら初めから出来ることを制限して特化型のAIだけを作るだろう。

それでも、そこで止まれないのが人間であるからきっと自己意識を持ったAIというのも遅かれ早かれ開発されるんだろうな。そうなると、本当にSF小説のような世界になる可能性もあるんだろうか。

生み出し、育てているのは、紛れもない我々人間なんだが。


※以下の雑誌を参照しました。


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