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断片 雑文書きまくる

 昨夜はー、えー、とあるノート術と、あと勝手な書きものと、それと創作ノートとメモ帳か、それらを手書きでばりくそ書いていた。何やらナチュラルハイ、奇妙な覚醒状態にあったので、もう書きたくて仕方ないような気分でペンを走らせたものです。なんだったんだろうな。万能感があった。あの瞬間私は人生で優勝していたのだろう。気分的には優勝。ドーパミンだばだば。エンドルフィンごぼごぼ。書くことの中毒みたいになってて、いや不思議なものでした。小説の原稿もこういうノリで書けたら速攻で書き終わるだろうに。

 実は肩に異常があって、腫れ物なんですけど、一度腫れまくって噴火した部分がまた腫れてきている。根っこが残ってたんだろう。これちょっと整形外科に行かないと完治しないので、近々行ってこようかと。腕のいい医者を知っている。以前別の部分をパーフェクトに治してくれたのだ。ささっとかっさばいてもらって健康になりたい。外科手術になるけど余裕で日帰りだろう。一時間もかからんよ。しかしまあ長く使ってきたこの体、さすがにボロが出てきてるね。目にも不安があるのでこちらは眼科だ。あと歯。歯科で検診受けたい。耳鼻科はだいじょうぶ。診てくれた医者より聴力がいいらしいので。

 サブデスクに置いたiPadから目線を上げれば、ダ・ヴィンチの『洗礼者ヨハネ』のレプリカが見える。ヨハネが天を指差して妖しく微笑んでいるという絵で、これはプロの小説家になったら買おうと思ってたもの。もともとはカンバスでのレプリカをいくらかで、と目指していたけど、なんか安くプリントで売ってたもんだから、プロになる前にそれ買っちゃったんですね。んで額縁に入れて飾っているのだった。これはいつか現物を見てみたいな。どこにあるのか知らんけど。ルーヴルかしら。なお左に目を向ければフェルメールの『天文学者』があり、こちらはカンバスのレプリカ。この老学者のごとき情熱でいこう、という思いからデスクの正面に飾っている。絵画も味方ですね。

 ハイドンのピアノソナタ全集を聴いている。これがなじむなじむ。聴いていてまったく疲れない。緊張しない。のみならず飽きない。白米と焼き鮭と味噌汁の朝メシように。同じ古典派でもモーツァルトよりはやはり素朴なんだけど、それでもまあ名曲揃いですなあ。なんでこんなに自然な呼吸なんだろうな。余分も不足もないと思う。ピアニストの腕によるものかハイドンの作曲技法によるものか、そのどちらもあってこうなってるのか。わからんけれども、今日ほぼBGMとして三枚聴いた。いいものですね。肩の力が抜けてリラックスできた。あれだ。チルい。無理して若者言葉を使う私がいる。

 六月も終わりが見えてきた。早いものだ。一年の半分が終わりつつある。いや、ほんとに早いな。地球ががんばって回っちゃったのかな。半年ってのは人生のうちの無視できないほどの時間であって、ヤベェだろこれっていうようにすっと青ざめる。時間がない。これはシャレにならない。さっさと夢を叶えていきましょう。あるいは日々を楽しく生きられたらそれでいいとも思うが、夢を追うのも楽しさのうちってことで、幸福な無名時代というものもあるわけでございますから、いまをやりつつ、それでいて夢を叶えつつといければ。そういうわけで今日も明日も、ペンやらキーボードやらでゴリゴリ書いていきます。私には何かを書く以外にできることなどないのだ。



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