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『俺捨て山』 2/7



 ビー玉を眺めることをやめて我に返る。脳をハードとし小物をソフトとして記憶を起動させるわけだが、いまのは質がよくない。思い出せないことが目立つのだ。しかし工場をぶち壊した記憶は、いま実際にそれをやっているかのように沸き返った。
 明るい日差しが部屋に入る。腹時計で午前十時頃だ。
 障子を開けて縁側に出た。収穫を待つ稲がさざ波めいて見える。新米が楽しみだ。親しくしている地元の人が売ってくれる。
 青空をしばらく仰ぐ。鷹が悠然と飛んでいる。大きな翼を動かさず、グライダーと同じように空を滑る。僕は見送ってからまた家に入った。
 再び『思い出す部屋』の小物たちの前に座る。これらはきちんと並べられているわけではなく、ただ一ヶ所に集められているだけだ。畳の上に乱雑に置かれ、毎日のように引っかき回すものだから余計ゴチャゴチャになる。しかしそのほうがかえって都合がいい。思いがけない接触が僕を喜ばせるのだ。
 いままた引っかき回してみて、何かおもしろそうな小物を探す。転がり出てきたシャープペンを拾った。

 十二歳。
 中学受験のために小さな塾へ通い、それなりの熱心さで勉強をしていた。小学校の各科目のテストなどは問題文を読んだだけで全て解けたように思う。教科書を読まなくてもできたのだった。恐らくは将来に期待されていた。
 似たような生徒はクラスに何人かいた。当然のように受験組で、僕たちはそれぞれの偏差値が気になっていた。少なくとも僕は彼らを推し量っていた。
 それでも受験組の中で仲のいい友達は何人かいた。はっきり思い出せるのは一人だ。彼はいわゆる天才か、それに近い頭脳の持ち主だった。僕が劣等感を抑えられていたのは彼と友達だったからだ。そうでなければ腹立たしくて眠れもしなかっただろう。
 天才に近い友達――仮にAとする――とはしばしば雑談しながら家路についた。放課後にどちらからともなく声をかけ、同じ方向へ歩いた。
 ある夏の日、小石をボールのように蹴りながら二人で帰っていたとき、何がきっかけだったか、受験校の話になった。
「僕はN校とかT校を受けるよ」
 そんなことを自慢気にいい、今度はAに訊いた。
――K校を狙ってるんだ。
 それは有名な難関校だ。学校名を聞いたときの僕の感情は、尊敬と嫉妬が入り混る滅茶苦茶なものだった。乱れた気分は無意味なはしゃぎ方につながった。凄い、凄いなー、などと何度もいったはずだ。Aは顔を赤くしていた。
――お互いがんばろうね。
 別れ際にAはそういった。だが、例えば僕ががんばってもK校には受からないし、彼は別にがんばらなくてもT校やN校に受かるのだ。そう思いながら家路の残りを行った。
 それからも僕は、毎日家や塾の机に向かった。たまには面倒くさいこともあったが、それでもどうにか続けた。塾講師は僕に解けない問題を与えない。教えられた範囲とやり方で解けるものを選んでプリントを渡し、問題集にマーカーで印をつけた。
 Aと僕は合格した。彼はK校を始め全ての受験校に受かり、僕は第二志望のT校と滑り止めの中学校に受かった。受験が済んで、僕たちは控えめに讃え合った。
「頭いいもんなー。おめでとう」
――君もがんばったじゃないか。
「A君ほどにはやれないよ。K校、凄いなー」
 そんなことをいうとまた顔を赤くするのだった。
 一週間後、小学校での最後のテストがあった。社会の問題でわからない部分があり、答えられず、点数は七六点だった。これまでは百点が当たり前だっただけに屈辱だった。答案用紙を見て、Aが正解を書き込んでくれた。親切でしてくれたのだろう。だが耐えられず、一人での下校中、道にあったゴミ箱に答案を突っ込んだ。地面にシャープペンが落ちた。添削していたときの、Aのものだ。どうして紛れ込んだのかはわからない。僕はそれを盗むことにした。
 何年かあと噂で聞いたところによると、Aはこの国で最も程度の高い大学に入ったそうだ。彼なら官僚にだってなれるだろう。きっと全てうまくいく人生なのだ、そのような気がしていた。うまくいくことを少し願ってもみる。

 シャープペンはずいぶん古ぼけている。手にしてよく見ると傷や汚れやグリップの劣化などがはっきりわかった。あの頃から何年経っただろう。年月を数えようとして、結局やめた。
 障子越しの陽光が強い。いまはたぶん真昼頃だろう。さほど腹が減っているわけではないが、一応は何か食べておいたほうが体のためだ。『思い出す部屋』を出る。
 台所でカップ麺を見つけた。沸かした湯を注いで居間へもっていき、箸を取った。朝食のときと同じようにいただきますと手を合わせた。
 スープの最後の一滴まで腹に入れ、汗ばんだ額を指で拭った。
 さてどうするか。いや、この期に及んで、こんな場所にいて何をどうするつもりもない。ただ思い出し、浸るだけだ。
 『思い出す部屋』に戻った。食後の気だるさがのしかかり、腹も重く、畳に寝転がった。部屋の隅にカマキリがいた。何か黒っぽい昆虫をガリガリと食っている。餌である虫はまだ生きていて、脚を動かしてもがいていたが、やがて動きを止めた。カマキリは何故か半分ほど食っただけで虫を放り出し、壁伝いに歩いて僕の視界から消えた。
 寝返りを打って障子に顔を向けた。日が当たり、暖かい。もう一ヶ月もしないうちにストーブが必要になるだろう。その頃は日の温もりも足しにはならない。雪と北風にこの家は軋み、布団をかぶってストーブの前にかじりつくことになる。
 僕は床を這って小物たちの前へ行く。またあれこれ引っかき回す。テレビゲームのカートリッジ、これがいい。

 十四歳。
 中学校では、入学当初こそおとなしかった生徒たちの中で、二年生になったあたりから荒れていった連中がいた。僕も荒れた。
 生徒たちが使うロッカーを蹴ってベコベコにへこます。ライターとヘアスプレーで火炎放射器のまねごとをやり、教室の床を黒く焦がす。ピンクチラシを頼りに業者から裏ビデオを手に入れ、生徒たちに倍額で売りつける。万引き、喫煙、殴り合い。古風にも根性焼きなどもやった。焼いた痕はいまも残っている。
 最も暴走していたのはBだった。Bの行動に拍車をかけたのが僕だ。僕とBは油と炎の関係だった。僕にとって彼さえいなければ、彼にとって僕さえいなければよかったのかもしれないと思う。
――親友って一人だけだと思うんだ。俺はお前を親友にしたいんだけど。
 夕暮れ時の町を歩きながらBはそういった。僕は応じた。
 僕は勉強などしなくなった。きっと受験で燃え尽きたのだろう。一応は進学校なのだから、日々の授業やテストの点数などは厳しいものだ。小学生の頃に感じていた遊びのような気楽さはない。百点が五十点になったのは僕にとって挫折するに足る。重い鞄を肩にかけ、下を向いて学校へ向かった。駅の床の模様は完全に覚えた。
 放課後は万引きの時間だ。Bから声がかかり、二人で電車を乗り継いで大きな街へ移動する。そうしてゲーム店やCD店へ行く。Bはよく舌の上にカッターの刃を仕込んでいた。これで商品につけられたタグを切り取り、店を出るときに警報が鳴らないようにするのだ。
 Bの近くで何度となく万引きをした。二人でどれだけ盗めるかを競っている節もあり、大量に鞄に詰め込んだら賞賛し合った。それが日常になってしまい、とめる者もいないから繰り返した。
 あるときは家庭用ゲーム機本体を盗んだ。Bは、ちょっと行ってくる、と告げて店へ入り、雑居ビルの非常階段で待つ僕のところに息を切らせて戻ってきた。ゲーム機の大きな箱を手にしていた。箱を包んでいるビニールの一部が切り取られている。ここに警報用のタグがついていたのだろう。僕の横に座り、Bは息を整えた。
「でかいのいったな。マジでパクるとは思わなかった」
――たいしたことねえよ。
「いくらで売る?」
――一万五千なら出す奴がいるだろうな。
 そういって階段を降り、ビルの角から店のほうを見た。店員が探し回っていないか確認しているのだ。やがてこちらに手招きをしたので、僕は応じてゲーム機を持って駈け降りた。二人で店の反対方向へ走った。駅に着き、収穫物を渡して別れた。
 翌日Bが持ってきたゲーム機は純朴な生徒に売れた。Bとの短い交渉の間、店頭価格よりずっと安いことに目を輝かせていた。売ったあと、僕は紹介料のようなものとして二千円を受け取った。
 捕まらなければいいだけの話として考え、盗みを続けた。
 個人的によく盗んだ店があり、目当てのコーナーに入ると店員がそばで仁王立ちになって見張られるようになった頃、もう万引きはやめようかとふと思った。そうした迷いが出たからだろう、あるとき大きな書店で捕まった。
 監視カメラの死角で商品を鞄に詰めているとき、私服警備員に腰のベルトを引っ掴まれた。逃げようと走り出したが、ベルトを掴まれてほとんど動けず、あがくだけ無駄だった。Bも巻き添えになり、僕たちは店の奥の部屋へ連れて行かれた。
 親に連絡がいったが、僕たちのどちらにも迎えは来なかった。警備員は最初、警察を呼ぶことをほのめかしていたが、打ちのめされている僕たちを憐れんだのだろう、説教だけして解放してくれた。
 店から出て、Bは何もいわずに帰ってしまった。
 何もする気がなくなった日々が過ぎ、僅かに気を持ち直してきたとき、久々にBに話しかけられ、儲け話を持ちかけられた。
――ビデオをさばこうぜ。いい店見つけたから、カネ持ってきてくれ。
 安く買って高く売る手口だ。巻き添えにしてしまった負い目からBとは距離をとっていたので、まだ相手にしてくれるのだという嬉しさを感じた。
 告げられた繁華街に行き、Bと合流した。店があるという方向へ行く。ビルの影になっている暗い道に入っていくと、人は全くいなくて空気は冷たかった。Bは、小便してくるからちょっとここで待っててくれ、といい残してどこかへ行った。店はどこだろうと思い、キョロキョロと眺め回す。道の先に不良がいた。高校生くらいに見える。こちらへ来た。顔を見据えられている。すぐそばまで近づき、因縁をつけてきた。
――何見てんだよ。
「見てないですけど」
――見てただろが。こっち来い。来いよカス。
 肩を掴まれてビルの壁際に追い込まれそうになった。抵抗していると腹に拳が打ち込まれた。胃のあたりだ。痛みというより不快な感触が内臓に広がる。不良の顔に手をかざした。目つぶしのフェイントだ。次の瞬間に全力で走って逃げた。何かいいながら追ってくる。道を抜けて表の通りへ出る。通行人が大勢いたから、ここまでは追ってこなかった。錯乱した頭でもっと安全な場所を探す。銀行へ飛び込み、携帯電話でBに電話をかけた。息切れとパニックの大声でいまあったことを話す。先に帰るともいった。
――いったん会おう。さっきの道の横に公園があるから。
 まだそこらに不良がいるだろう。行きたくなかったが、Bは公園へ来いと繰り返した。だいじょうぶだからと。
 そうして周囲を窺いながら公園へ行った。人のいない、静かで小さなところだった。Bは木陰のベンチにいた。そばへ駆け寄り、早くどこかへ逃げたいといった僕に、落ち着いて隣に座れという。何をされたか、どんな奴だったか、などと訊かれたが、話をしてもそわそわした様子で聞き流しているようだった。
 何分か話して、ベンチから立った僕の裾を引っ張った。あの人じゃねえか? とBが指した方向からさっきの不良が歩いてきた。
 僕とBの間に座り、ニヤニヤしてBと何か話していた。やがて不良は黙ってこちらを見た。僕は持ってきたカネを奪われ、側頭部に一撃を喰らい、家にある親のカネを全部持ってこいといわれて走らされた。警察に通報したらBを殺す、といわれた。
 走り、電車に乗り、家に着いて母親に話した。僕は自室に閉じこもり、震え、泣いた。
 母親はすぐにBの自宅に連絡を入れた。塾の先生と食事に行っている、ということをBの母親はいったそうだ。
 僕の頭蓋骨は皮膚の下で割れていた。額の横を押すと割れた骨が内側へ軽くへこむ。次の日、学校の廊下でBに会ったときそれをいった。
――俺だってそんくらいの怪我したことあるよ。
「押すとパキッて音が出るんだ」
――ていうかあまり大ごとにしたくなかったんだけど。親にいってんじゃねえよ。
 Bは僕と目を合わせなかった。
 その後どういうふうに学校生活を送ったのかは覚えていない。
 何ヶ月か経ったときにBから電話が入った。
――許してほしいんだ。
 具体的に何のことを、とはいわなかった。
「うん、いいよ」
 と答えておいた。
 成績不振のため付属高校へ行けず、僕らはまた受験してそれぞれ別の高校へ行った。医者には行かなかったが頭蓋骨は治った。盗んだゲームをやったあとなど、ときどきそこを触れていた。何ミリか出っ張ってしまった感じがした。万引きはBと離れてからやっていない。
 いつか友達から聞いた。Bは外国でヤク漬けになったそうだ。

(続)

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