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風早(広島県東広島市)~雨の音と牡蠣の音~

 瀬戸内海の町々を巡っていると、「行きたい」と思う場所に変化が生じてくる。最初は、やはり有名な観光地であるとか、都市を巡りたくなる。例えば、尾道や倉敷、宮島、その辺りか。

 観光地であるが故に、港や街並みが整理され、飽きることなく回ることができる。また、古くから栄えた街が多く、商業施設や寺院などが多く点在するため、時間を消費することに困らないのだ。従って、帰路の満足感も高いし、何度も来たくなる。

 もちろん、今でもそういった街に行くことはよくある。今回だって、最初は尾道に行った。宮島なんて、1度しか行ったことがない。観光地に足を踏み入れるのに、「あそこはもう行ったから」などと考える必要はないし、そう思えるほど、他所の街を理解したことはない。

 しかし、そういった街を巡っていると、次第に「何も知らない町に、フラっと立ち寄りたくなる」という気持ちが湧いてくる。普通の観光旅行ではまず行くことのなさそうな、静かで小さな町に、行ってみたいという気持ちになるのだ。

 前置きが長くなってしまったが、そういった経緯があり、Googleマップを頼りに、「ここへ行ってみたいな」と思った場所へ、フラッと立ち寄ることにした。それが、この風早という町というわけだ。

 風早は、東広島市南部に位置する。個人的には、東広島=西条とか白市とかをイメージしていた。東広島が海に面していたというのは、お恥ずかしながら初めて知った。

 呉線の東側、「瀬戸内さざなみ線」の愛称を冠するエリアに駅を構えており、列車の本数は西側と比べると少ない。僕が立ち寄ったのは昼頃であったが、この時間は2時間に1本しか本数がなかった。

 駅を降りると、無骨な駅舎の向こうに海が見える。古びた時代の名残が、そこはかとなく感じられる。このような景色を見る度に、「この出会いのために旅をしているのだな」と思ってしまう。

 駅の北側から、街を見下ろす。密集した住宅群の奥には、別の陸地が靄の向こうに佇んでいる。あれが本土なのか島なのか、パッと見では分からない。地図でちゃんと見れば、あれは本土だ。しかし、初見では「実は島ではないか」と思ってしまうのが、この海が見せる世界なのだろう。

 駅の南側には牡蠣の直売所があり、牡蠣殻の処理を行っていた。雨音の中に響く牡蠣殻のこすれる音は、何故だか少し心地いい。山で鳶の鳴き声を聞いたり、雨の日に雨粒の音を聞いたりするように、普段聞かない音は、自分がいる時間・空間を特別なものにするような気がする。

 この日は生憎の雨であった。この場所からも、天気が良ければ、もしかしたら何処かしらの島が見えたのかもしれない。瀬戸内海に来たときに、雨で遠景が見えないというのは、残念な気分になる。しかし、靄が海や山を覆って視界を遮ると、それはそれで厳かな雰囲気にも感じられる。

 駅の裏にある集落から、街並みを見渡してみる。手前のスペースは、段々畑になっていた。この狭い空間を有効的に活用する…人間というのは、つくづく器用な生物だなと感じる。

 再び、集落を降りていく。坂の向こうに海が見える、やはりこのような光景は、どこに行っても飽きない。

 海沿いの道を少し歩くと、バス停があった。すぐ後ろは海で見栄えは良いが、どうもこの路線は一部運行を取り止めたらしい。地方の閑散区間とはそんなものだ。中枢都市ですら、一部の郊外へ出るバスの本数は、多いものではない。時刻表を見て寂しくなる気持ちもあるが…。

 バス停からさらに歩くと、漁船が多数留め置かれていた。桟橋や堤防のない場所に係留しておくというのは、珍しい感じもする。この船を扱う人たちは、どうやって乗船するのだろうか?

 一度駅に戻り、反対側を歩く。こういった街並みもまた、僕好みの風景だ。やや古めの民家が連なる道は、どことなく哀愁を誘う。地元の方々にとっては当たり前の風景だろうが、遠方から足を運んだ僕にとっては、非日常を掻き立てる要素の一つになっている。

 この後、たまたま営業している飲食店を発見したので、腹拵えのために入ることに。海鮮丼とカキフライで¥1,100だから、リーズナブルな部類だと思う。店主の方が言うには、牡蠣はシーズンアウトギリギリだったのだとか。どうやら良いタイミングで来たようだ。カキフライは、都会だとこの大きさは食べられない。これが本場かと思わされた。

 最後に、港の方へ足を運んでみる。養殖のためか否か、海上に筏のようなものが多数置いてあった。沖合ならばこういった設備がある所もあるかもしれないが、入江だと珍しいか?そこに人が住んでいる…とまでは言わないが、不思議な光景であった。

 という訳で、約3時間ほど、風早の町を歩いてみた。牡蠣の養殖に関連した施設が点在しており、海沿いには一定の活気があった。一方で、運行取り止めの掲示が掲げられたバス停など、人々の痕跡が薄れつつある姿もあった。

 こうして振り返ってみると、何も知らない町であっても、いざ歩いてみると、何等かの色を持っている気がする。それがどのようなものか、形容することは難しい。ただ、今回訪れたこの町にも、そのような色があるように感じられた。

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