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1億総編集者という時代の中で

「1億総編集者」という見出しをメディアで見た。

なるほど、と思った。「1億総カメラマン」というのはよく聞くけど、編集、と聞くと確かになと思った。あふれる「まとめ記事」もそうだし、「楽天ROOM」なんかもそうだし、好きなアカウントをまとめる「twitter」や「instagram」なんて、もはや自分専用の雑誌みたいなものだ。好きなもので身の回りがあふれる暮らしは、素晴らしい。その環境を自分でつくれるなんて、最高だ。

いい時代になった。みんなが編集しながら生きる時代になった。でも一方で、じゃあその中で「編集」を仕事にしてお金をもらっているぼくたち編集者が、お金をもらえる理由はどこにあるんだろう? とぼんやり考えた。みんな編集できるんだったら、編集者いらなくないか?

考えようとしたら息子が起きてきたので、一瞬で思ったことだけまとめる。

みんな…目に見えるもの、ことを編集する(まとめる)
編集者…目に見えないもの、ことを編集する(つなげる)

かなぁ。ほかにもいろいろあるけど。

目に見えるもの、ことを編集する(まとめる)
→つまり、今ある商品、サービスについてまとめる(通販とか絶景とかアプリとか発言とか)

目に見えないもの、ことを編集する(つなげる)
→つまり、まだ形になっていない断片をストーリーにする(本とか映画とか人間のつながりとか思い出とか)

自分のことを「編集者」と言いながら「ライター」と言いながら、前者のようなことばっかりやってると、いつかお金はもらえなくなる。目に見えるものことなんて、消費者が自分で編集できるし(しかもめっちゃ上手に、自分に最適化して)。それこそ、AIにだってできるから。

まとめることは編集の仕事じゃない。つなげることが編集の仕事だ。

人と人、街とモノ、感情と感情、課題と理想、今と未来。間にあるものを見つけるのが、センスだ。

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