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フジコ・ヘミング

音が弾む

その日も、何となく選んだピアノメドレーを聞きながら仕事をしていた。ピアノであれば気が散ることはない、そんな粗略な理由で。なのに。youtubeのシャッフル再生によって選ばれた演奏がイヤフォンから流れてきた時、思わずキーボードを打つ手が止まった。pcの画面をyoutubeに切り替える、そこには「ラ・カンパネラ フジコヘミング」の文字が。

それが、フジコ・ヘミングを知ったきっかけだった。ピアノを習ったことはない、もちろん弾くこともできない、ピアノ鑑賞にもさして興味はなく、仕事で集中を要す業務をする時にたまに聞く、そんな程度だった。

でも、フジコ・ヘミングの演奏にはたまらなく心惹かれた。音が弾んで聴こえる。なぜ、こんなにも音が生きて聴こえるんだろう?と不思議に思った。

映画「フジコヘミングの時間」を観て、その理由がわかった。自分の感性に従って、自分の好きなもの/ことを追求している、一切の妥協なく。その生き様や感情が、演奏に反映される。だから音が生きる。

先日、フジコ・ヘミングのコンサートへ初めて足を運んだ。歩行器を押しながら、フジコは出てきた。

演奏が始まる。圧倒された。生で聴く演奏は、想像していたよりも、壮大で、鮮麗で、ドラマチックで。歩行器で歩く老年女性の手によって紡ぎ出されている演奏だとは到底思えなかった。

ピアノから、沢山の音符が溢れ出す。音がまるで生き物のように、活き活きと跳ねる。目を閉じると、演奏の情景が浮かぶ。

勇敢な、ショパンの「英雄ポロネーズ」も、フジコの手にかかると繊細で柔らかく、美しい曲になる。目に浮かぶのは、チュール素材の洋服を身に纏った女性が、戦争から帰るパートナーを想い、喜びに満ち溢れながら外で摘んできた花を花瓶に挿している姿。

そして、ラ・カンパネラ。私はこの曲をきっかけにフジコを知った。聴くたびに思う、フジコのラ・カンパネラは、まるで人生のようだ、と。

悲喜こもごもな出来事に感情を揺さぶられながらも、自分を見失うまいと力強く自分の足で前に進み続けてきた姿が目に浮かぶ。だから、胸を打つ。自然と涙が出てくる。フジコの波瀾万丈な人生が、その生き様が、美しい音色となって奏でられる。まだ日本人平均寿命の1/3程度しか生きていないけれど、私の人生もこの演奏のようにドラマチックでありたいと、思わされる。

演奏が終わり、しばらく立ち上がることができなかった。全身でフジコの演奏を堪能して、疲れすら覚えた。

フジコヘミングの演奏は、ピアノというジャンルを超えた、"人生"の表現だ。これからも、人生の折々にフジコの演奏を聴き、自分の生き様を省みる時間を過ごしたい。


#音楽 #フジコヘミング #とは





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