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作品を見せる恐怖

半年前の事、私は2次作品制作で知り合った人とイベントに出かけたのが始まりだった。その人とは、そこそこ楽しくやっていたので『次のイベントも一緒に』と言うと、返ってきたのは意外な言葉だった。

「最近、作品を見てくれる人が増えて怖くなった」

人に見せる為に作る作品であるが、同時に作品を見られている恐怖が襲ってくるのだとか。一体どれほどの恐怖なのか、当時の私はイマイチ分からなかった。

それから数か月後、その人は自らの作品を消し、SNSを止めて、音信不通となってしまった。最後の時の連絡は、名前を変えて新しくやっていくので、もしまた出会えればとの事だった。せめて連絡先はと言ったのだが返信は無く、その人なりに考えた結果だろうと思って追うことをやめた。

作品を見せる恐怖とは、どんなものか?

例えば、自分で作品を作っただけでは、自己満足にすぎない。出来上がった作品を誰か(他人)に見て貰ったり、評価されたりして作品の価値を見出す事が出来る。また見てもらう人が多ければ多いほど、作品の価値が上がるし、評価も貰える。

ところが、ある一定以上の人がいると、ちょっとした考えや受け取り方の違いで他人同士が喧嘩を始めることがある。メールなどの秘匿性が高いならいいのだが、現在はSNSで公開された場での喧嘩を行い、周りを巻き込んでの大喧嘩となる。

最悪の場合、何も言わない作者も巻き込んだ戦争に発展し、戦いに飽きて熱が冷めた所で終わりとなる。その結果、傍観していた作者は自分の責任を負う為に作品作りを断念せざる負えない結果となることもある。それは2次創作だけではなく、創作者本人でも起こり得る事だろう。

作者も人間であって神様ではないのだから、見えない所から飛んでくる無数の石に恐怖するのは当たり前だ。強い心を持てばいいと誰もが言うが、全員がそうとは限らない。

SNSで誰にでも作品を見てもらえる現代の恐怖

ネット上に作品を公開しても、『3人しか評価してくれない』と嘆く人も居るだろう。だが裏を返せば、『3人は評価を下してくれた』のだ。もし現実で、見知らぬ場所で作品を見せて評価したら殆ど評価して貰えないだろう。

ネットは、つねに誰かに拾ってもらえる。だが、同時に見知らぬ誰かに傷つけられる事も覚悟しなければならないとさえ言える。さらに最近では、作者の質も問われることもある。

多くの人が『性格や生活に間違いがなく、きつい冗談やちょっとキツイ感想をどんな見知らぬ他人が言っても全然大丈夫で、何もかも知っていて何にでも答えてくれる完璧な理想の作者像』を立てるだろう。しかし、作者だって人間なのだ。

SNSのマナーを全然知らない初心者がちょっとした発言で、二度と立ち上がれない程に完膚なきまでに潰されることがあった。また最低限のマナーを知っていても暗黙ルールを踏んで完膚なきまでに潰されることもあるそうだ。

それならばSNSなどやめて発言しなければいいと思うが、現代ではSNSで投稿しなければ中々見てもらえない。さらに、プロの作者でさえ本や商品を買ってもらえるように常に発信していかねばならないし、興味を持ってもらう為に面白い発言もしなければならない。

現代のネットではSNSなどで誰にでも見てもらえる代償として、作者と作品が合わさって評価され、間違えば見知らぬ所からの石が飛んでくるようになった。しかし、こんな事が起きるなんてほんの一握りだろうが、SNSが流行する前までに比べたら起きるはケースは日々増え続けている。

作品の作り手と受け取り手

私は、作者は傷つきたくないなら作品を作ってもいいが見せないようにしろと言いたいわけじゃない。

作品の評価は、作者の評価と一緒にしてはいけない

無論、作者の性格や行動が良い事に越したことはないだろうが、全員が全員がそうとは限らない。作者だって他の作品に嫉妬するだろうし、醜い部分が垣間見えるときもあるだろう。だが、作品の評価は一緒にしてはいけない。

何故なら『作者が努力して作りあげたもの』だからだ

確かに努力は人それぞれだし、努力しなくてもいい物が作られる場合や逆の場合だってもある。しかし、そこまで至るまでの経緯までを評価する必要性は無い。あくまで作品を評価する人間は、あるがままの作品を自己流で受け止めて評価するだけだ。それ以上も以下でもない。

だが、人間が故に100%作品で評価する事は出来ないので、どうしても人柄や性格で判断が変動する。良い部分ならプラスになるだろうが、悪い部分も人間なのだから多少なりともあるだろう。その場合、受け取り手は作者自身のマイナスな部分をどう受け止めるかを考えねばならない。

作品>作者と考えるならば、作品を評価すればいいし、作品=作者ならば作者を見限ればいい。だが自分で受け止められないからと言って、内に秘めるべきことで全世界に向けて表面化させることじゃない。特に悪評は絶対に公の場やネットで安易に言ってはいけない。

もし、どうしても自身で受け止められない作者自身の悪評を全国に公開したいのならば、起きるであろう事態を予測をして、差し違える覚悟で行えばいい。アニメのセリフ通り、『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ』。運よく沢山の作者を自分流の悪評を広めて潰すことに成功し続けても、いつか相応の反撃を喰らうことになるだろう。

だが、あの人はそんなものすら求めていなかった。

そんな難しくも厳しい事ではなく、作り手も受け手もお互いを尊重し、適切に接し続けられるような優しい世界が欲しかったのだ。こんな作品を見せることにすら恐怖するような世界じゃなければと思ってやまない。

「そんな夢幻の世界など元から無かった」と誰かが言うだろう。だがせめて、これから生まれる作者たちが、作品を発表することに恐怖する世界にならないでほしいと願うばかりである。

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