見出し画像

森で40分内省したら、転職活動を決意した話

時を遡ること、約1年。
2022年7月9日。
ぼくは山梨県北杜市の清泉寮にいた。

きれいな青空と草原

信頼する2人とのリトリート初開催。期待と不安が入り混じる中、リトリートが幕をあけた。

リトリート企画者であるものの、ぼくは参加者とともにその渦中にいたいと思い、毎回テーマを持ちこんでいた。

当時ぼくはフリーランスとして、とても自由にやりたいことを、やりたいようにやっていた。

その生活はとても楽しかったが、どこかでその生活に満足していたような気もしていた。周りに与えられるインパクトが少ないような気もしていた。そんなときふと、就職もありなのではないかという想いが湧いてきた。

そんなところにいたので、リトリートのはじめに今回のリトリートで、「このまま進むのか、転職活動をするのか決めたい」と言った。

みんなで輪になって対話

そしてその後1人で森を歩く時間になった。

森では考えるともなく、考えながら、歩いた。脇道に入りたくなって、入ってみると、そこには大きなカエルがいた。好奇心に身を任せて、近寄ってみる。そうするとカエルに手を触れられるような距離になる。カエルは動かない方が得策だと考えているのか、じっとしている。

偶然出会ったカエル

触れることもできたが、なぜかそのときはその気にならず、そのまま見守り、バイバイをした。

その前日に起こったのは安倍総理殺害の事件。このカエルと自分との出会いのように、危険は突然やってくる。そうしてある種ぼくの気まぐれで、カエルは何事もなくその場を免れることができた。そんな感じで、生死もだれかの気まぐれで決まってしまうようなものなのかもしれない、となんとなく思った。

そしてさらに森を歩いていく。軽快に歩みを進める。昨日雨が降った影響か、道はぬかるんでいる。

そして目の前に時々、2つの選択肢が現れる。ひとつはめちゃくちゃな道、ひとつは整っている小高い道。

いつも僕はめちゃくちゃな道を無意識の間に選んでいることに気づいた。

おっと、たまには逆を歩いてみよう。すごく整っていて、歩きやすい。そして小高いので、めちゃくちゃな道を冷静な目でみることができる。

こういう選択肢もあったのか。ふと気づく。

自分の人生を振り返ってみると、大学まではこんな整った道を歩んでいた。地元で有名な進学校に進み、第一志望の名古屋大学に合格した。自分は優等生だった。

「あれ、なんでこんなに整った道を怖がっているのだろう?」

むしろ目標があって、よーいスタートで競走したら、負けず嫌いも手伝って、基本上位に食い込めるよな。

「あのときの自分のリソース使えてなくない?」

「もっと具体的な肩書きや実績を積んでいく期間にしてもいいんじゃない?」

と思ったら、なんかいろんなものがすっと腑に落ちた。

たしかにぼくは仕組みの中に入ると、そこに適合してしまいがちだ。だからこそ一旦社会と距離をおきたかった。でも今は自分の軸もできた。そのぶれない軸を持ち続けながら、むしろその軸に則った目標をたてて、そのために行動していくということはエクサイティングなんじゃないかと思えた。

それは森から「転職活動してみなよ」と言われたようなものだった。

「森から言われたら仕方ない」

僕は観念した。

そして1人での森歩きが終わり、自分の頭の中で起こっていたことを現実にするために、周りの人にシェアをした。

そしてリトリートの場に参加してくれた友人の手も借りて、転職活動を進めて、12月からコーチェットで働くことになった。

ぼくは22回リトリートを開催しているが、森ではなぜか腑に落ちる意思決定ができる。

森の中で起こることの片鱗を少しでも知ってほしいなと思って書きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?