サドル狂騒曲80 気まずい訪問者

 雄太は部屋に入ると、美奈子の手を引いてキッチン、居間、トイレとバスルームの場所を回った。美奈子は壁伝いに歩きながらも、大体の位置を把握して頷いた。
「 大丈夫よ。自宅より広いけどわかりやすいから一人でも歩けるわ 」
 頭の回転が速く、俯瞰が利くせいか美奈子は視覚障害を感じさせない程機敏に行動できる。家では一人で炊事や家事をこなすと聞いて雄太は舌を巻いた。
 「 すごいな美奈子は… これじゃ俺がついてる必要はないな 」
 「 自分の事は自分でやらないと。後、見えないと逆に嗅覚とかすごく敏感になるのよ。そういえば、台所と居間に雄太さんと違う煙草の匂いがするわ。ちょっと香水が混じっているけど男の人ね」
 「 職場の同僚がよく遊びに来てたんだ。休みの前はうちに泊まってゴルフに行ったりもしたよ 」
 恭平の事を気付かれても特に困る事はなかった。だが、その名を聞けばキッチンに立って食事を作る恭平の姿が亡霊のように目の前に現れる。手に抱えた大皿に野菜のソテーとステーキの塊が盛ってある。
「 ユウはもっと野菜を食べなきゃだめだよ。ほら、早くこっちへ来て 」
 恭平は笑っている。雄太は目を閉じ頭を振って幻を追い払う。
「 お友達なの?今度紹介してほしいわ。トワレの香りがすごく素敵 」
「 もう結婚するんだ。ここには多分来ないよ 」
「 まあ… それは良かったわ 」
「 お茶を飲もう。喉が渇いたし一服したいんだ 」
 話を切って、雄太は美奈子を抱き上げた。はしゃいで笑う美奈子から甘いコロンの香りが漂う。雄太は未練がましい想いを断ち切りたくてその胸元に顔を埋めキスをする。美奈子は小さく喘いで、両手を雄太の首に強く回した。



 なんだかんだで結局雄太さんのマンションに着いたのはバスに乗って1時間半たってからだった。周囲の建物と比べてもひときわ高級感ある外観にちょっと気持ちがたじろぐ。でも、私は思い切って以前教えてもらった暗証番号を押してガラス戸を開いた。もうここに来ることはない。電車やバスの中で会ったらどうやって話すか色々思案した。でもシンプルにいくのが一番だ。

「 明日幣原様のところへ行って約束を果たします。500万は返していただく条件で、処女は幣原様に差し上げます 」

 だから雄太さんと恭平さんは元通りに愛し合ってほしい。片桐様の邸宅で恭平さんの絵を見た時に心は固まった。雄太さんに愛されたから今の恭平さんがいるんだ。そばにいるのは私じゃない。きっとこれからもずっと。あの二人が並んで笑っている姿を思い浮かべると、私はとても気持ちが安らぐ。本当のベストカップル。そうよ。勢いがついた私は元気よく開いたエレベーターの扉を開けた。

 雄太さんの部屋に前に立って一度深呼吸。もう話す言葉はもう頭の中で出来上がっている。例え怒鳴られたって絶対引かないわ。ブザーを押したら、綺麗なメロディが流れてなぜか緊張。お金持ちのマンションに来るのはきっとこれが最後だろうな。私は久しぶりに穿いたスカートの裾を握りしめる。

 
 

「 誰だ、こんな時間に 」
居間で紅茶と手土産のフルーツケーキを並べた途端に鳴った呼び鈴に雄太は首をかしげる。美奈子はヘレンドのティーカップを手に、ダージリンの匂いを楽しんで上機嫌だ。
 「 何か荷物を頼んだの?」
 「 いや、そんな事はないけど… エントランスを抜けて来たということは暗唱番号を知っているから… 」
 まさか、恭平が? 雄太は立ち上がって玄関に向かった。ドアスコープを覗かずに鍵を開けドアを開いた瞬間、立っていた青葉と目が合った。
「 お前… 」
言葉が続かない雄太を、青葉は目を逸らさず見つめている。


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