サドル狂騒曲83 交錯する想い

「 青葉が幣原卿の部屋へ向かってる。クラブハウスの2階個室だ。今週は卿が貸し切っているのは青葉も知っている。お前が今どこにいるかわからないが、とにかく行け、行って青葉を止めてこい   」
 マンションのリビングで雄太は片手に携帯、片手で美奈子の体を羽交い絞めにして床に伏せている。狂ったように暴れる美奈子に蹴られながら、雄太は開け放たれたベランダの引き戸を凝視していた。風に煽られはためくカーテンの音が闇の吠える声と重なって響く。
「 銀座だけど、どうして青葉がユウのところへ… 」
「 訳は後だ。急げ、お前の車なら1時間もあれば着く 」
携帯を耳に当てたまま恭平は人混みをよけて歩道を走った。雄太の声に被って女の妙な叫び声が聞こえる。異様な雰囲気の中でも冷静な雄太の声が既に懐かしさを含んで恭平の耳たぶは熱くなる。だが、話している時間はない。車を止めたコインパーキングが見えてくると恭平はズボンの尻ポケットの中で電子キーのロックを解除した。暗がりを裂くように400Rのライトが点滅する。
「 何とか中央自動車道に入れば後はどうにでもなる。青葉はいつそこを出たの?」
 電話は切れていた。ドアを開け携帯をコンソールボックスに投げ込むと恭平はエンジンをかけた。

 声の主は、盲目の婚約者だろう。青葉は何をしに雄太の元を訪れた?そして何を話した?あんなに女を怒らせるなら、多分それは… 

 ハンドルを握る手が汗ばむ。様々な憶測が頭の中で折り重なっていくが、今は青葉の身を守る事が先決だ。多くを語れなかった雄太の言葉の裏はわかっている。青葉は、幣原卿に体を捧げに行くつもりなのだ。

 出口のゲートが開くと同時にアクセルを軽く踏むと、ボンネットの下から巻き上げるエンジン音が響いた。道路へ出ると平日の銀座はそこまでの車の量はない。西銀座の入口までは5分もかからないだろう。恭平は電車の中で一人揺られている青葉を連想した。老いた猛獣に喰われる恐怖に耐えているのかと思うと激しい怒りがわき上がる。きつく奥歯を噛んで静めると、青葉のバースデーで食卓を囲んだ夜が見えた。

あの無垢な笑顔を汚す者は例え神でも許さない。

それは雄太の想いでもある事も恭平はわかっていた。

 俺たちをそこまで翻弄して面白がる輩が誰であれ、最期はその喉元を切るまで。ユウの腕の中でないなら、どこでこの命果てようが、俺の知ったことではない。

 西銀座のランプに滑り込むと、恭平はシフトノブを右へ叩き込んだ。DSモードに切り替えてパドルシフトを1つ落とすと右足を大きく踏み込む。エンジンは嬌声を上げて回転すると、追い越し車線を矢のように疾走しタイヤを軋ませながら後続を振り払い、彼方に消えていった。



 美奈子が大人しくなったのは雄太が恭平への電話を切って10分位過ぎてからだった。背中の震えが落ち着いてから雄太は美奈子を抱いていた手を離し、開いていた窓を閉めて鍵をかけた。半狂乱でベランダに飛び出そうとした美奈子の腕を掴むタイミングが1歩ずれていたら、柵の下に転落していたかもしれない。安堵したのも束の間、そこから気持ちはドアの向こうへ消えた青葉の行方に向かう。

 俺は動けない。青葉、守ってやれなくてごめん… 

 腕の中で揺れる小さな美奈子の重みを感じながら雄太は心で青葉の背中を追いかけた。恭平に託した今、雄太にできることはただ祈るのみだった。

「 あの娘、雄太君が好きなんでしょう 」

 振り返ると背中を向けた美奈子は半身を起こして俯いている。乱れた髪はそれでも絹の光沢を失わず、軽く首を回すと白いドレスの上で優美な舞を踊りさざめいた。
「 違うよ。あいつは俺の友達と結婚するんだ 」
「 ううん、わかるの。あの娘はあなたのために何かを捨てようとしている。だから私はあなたの結婚相手にふさわしくないと言い切れるのよ 」
「 気を悪くしたらごめん、謝るよ 」
雄太が遠慮がちに肩に回した腕の中に美奈子は弱々しく落ちた。怒りに任せて絞り出した毒気は抜けて、残っているのは剥き出しの弱さと歳に似つかわしくない幼さだ。雄太は無性に愛しさを覚えて抱きしめた。これ以上傷つけることは出来ないと悟った時、雄太の手は美奈子の豊満な部分に触れていた。美奈子を女として意識している自分に少したじろいだが、冷たい髪に唇を当てて心を落ち着けるとしっかりと胸の中に美奈子を抱きしめた。
「 一緒に湯に入ろう。髪を洗ってあげるよ 」
雄太は背に手を回すとファスナーを下しドレスは弧を描いて床に落ちた。そのままピンクのブラとパンティに手を伸ばすと美奈子は無抵抗で白く華奢な体を雄太に差し出す。雄太が立ち上がりシャツとジーンズを脱ぎ捨てると、グレーのハーフバックビキニ1枚になり美奈子の前でひざまづいた。
「 最期の1枚は美奈子のために残すよ 」
震える手に導かれて雄太の脚から細い布が外れていく。立ち上る逞しい雄の匂いに思わず美奈子は顔を覆い悲鳴を上げた。

 一糸纏わぬ姿になった体を重ねると雄太は美奈子を抱き上げてダイニング横の廊下をバスルームへ向けてゆっくり歩き出した。



 
 クラブハウスに着いた時もう7時を回っていたけど、練習場にまだレッスンの灯りがついて賑わっているのとは対照的に特別会員用のエリアは静まり返って物音ひとつしない。入口の液晶パネルで暗唱番号と顔認証を受けるとオートロックが解除され、私は建物の中に入った。幣原様のいる部屋は分かっている。唯一灯りのついている2階の角部屋。私は古い階段を上がりながらここに来て経験した色々な事を思い出していた。あと1時間もすれば全部終わる。私は辞めて何もかも元通りになる。それでいいんだ。雄太さんと恭平さんが幸せになれたら私は満足して北海道に戻れる。
 一人になったらどうやって生きていこう。久美子もいないし、頼る人もいない。オペレッタ、元気にしてるかな。どこの牧場で可愛がってもらっているかしら。会いたい。おじいちゃんが元気だった頃に戻りたい。
 気づいたら2階の廊下の一番端までたどり着いた。幣原様のいる部屋のドアはすぐ目の前にある。怖くなって周りを見渡すけど人の気配はない。頭の中で恭平さんと雄太さんの笑顔が交互に私を見る。そんな目で見ないで。もう後戻りはできない。私は深呼吸をしてドアをノックした。

「 幣原様、指導員の北岡青葉です。ドアを開けてもよろしいでしょうか 」

 弱々しい姿は見せたくない。私は背筋を伸ばして声を張り上げた。



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