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幸せを祈りあうこと

最近、18年ぶりに会い話した人がいる。正確には、10年前にも顔を合わせていたけれど、その時はしっかりと話すことなく、挨拶で終わった人。その人とは、とても親しい間柄にあって、お互いの幸せを望んでいたけれど、別々の人生を歩んできた人。

ただ、若かったという一言で済ませるのは簡単なことだと思う。けれども、そんな簡単な言葉で済ませたくはない。それは、とても複雑な感情を伴い、心の奥底をじわっと満たし、同時にぞわっとさせるものだからだ。

会うかもしれないと分かったときは、ざわざわし、もどかしい思いに駆られた。
ちゃんと話せるだろうか。
ちゃんと目を見ていられるだろうか。
そんなふうに、少し緊張をしていることが分かる。

けれども、実際に会ってみると思いほか緊張もせず、過去の郷愁がやってきた。
そして、今でもその人の幸せを祈っている私に気が付く。
つい「ありがとう」という言葉が口から洩れた。
そして嬉しくなった。

心から「ありがとう」と伝えることに18年かかった。

伝えるのには、時間が必要だったのかもしれない。
それと同時に「生きていてくれてありがとう」との思いもこもっていたように思う。
遅くなってごめん。

今や道は異なるし、いつでも会えるものでもない。
私はこれからもその人の幸せを祈っている。
同時にその人は私の幸せを願われていることも話してくれた。

会って話した時間は5分もない。
けれど、それで十分満たされた。
あの時も、今も、そしてこれからも幸せを祈っている。
そして、私も幸せになることが求められている。

生きてさえいれば、こんな時もくるのだと心を動かされた。


「ありがとう」

思い出深い日の記憶と共に。

現場から現代社会を思考する/コミュニティソーシャルワーカー(社会福祉士|精神保健福祉士)/地域の組織づくりや再生が生業/実践地域:東京-岐阜/領域:地方自治|政治|若者|子ども|虐待|地域福祉|生活困窮|学校|LGBTQ