あの『教室』から出られない


 こんにちは。お久しぶりです。片山順一です。前回のnoteがすっきりした感じだったから、更新期間が空いてもういいかなって感じになってました。

 だめでした。毒ガスに近い言葉になるかもしれませんが、私は私を救いたいので、書きます。

 たぶん、クソ教師に出会っていた話を。

 この言葉は、誰かを傷つける可能性を含んでいます。

 でも、これ以上抱えておくと私が傷つき続けます。

 それは嫌だから吐き出します。どうか、馬鹿で嫌な大人が書いたものと受け止めてください。


私編、小学校四年生の時

 今三十六才の私は、二十六年前。1995年から、1996年かな。小学校でF先生という先生に担任されました。この人は、生徒から人気がある人で、実際私も、彼の授業でゲラゲラ笑った記憶があります。

 彼の教育手法は、どういうのかというと、クラスを二つに分けるというものです。

 宿題をよく忘れる子や、授業態度が悪い子、反抗的な子などを、普通のクラスのみんなから隔離するのです。教室の後ろの方に彼らの机を並べさせ、そこで授業を受けさせます。

 彼らは『不真面目な怠け者』という烙印を受け、授業で手を挙げても無視されたり、かと思うとわざと難しい質問をされ、不平等な扱いについて反抗すると、論破されて笑い者にされます。小学生に先生が論破できるはずありませんから。

 怠け者を笑うことで、クラスには一体感が生まれ、怠け者としてさらされたくないし笑われたくないから、みんな頑張って勉強するようになるというわけでしょう。

 『不真面目な怠け者』は、頑張って人生を開くことはできない。頑張ることはせいぜい数日しか続かない。だから怠け者なのだ。それほど、生涯を通じて努力し続けることは難しいのだ。そういう、ありがたい道徳的な教えも、先生は怠け者を使って、私達に授けられました。

 私も、成績は悪くなかったのですが、提出物や自主学習などの家庭学習が苦手だったので、そこに入れられたことがあります。

 まったく、最悪でした。幸い、私は頭が悪くなかったので、宿題をまじめにこなしたり、試験でいい点数を取ったりして、数日間で怠け者認定が外されて普通の人間に戻ることができましたけど。

 そうなってからは、同じ席に居た怠け者たち、とくにそこからまったく出ることができない子達を笑っていました。

 だって、私は普通で、彼らは、劣った人間なのだから。
 そう先生の態度がおっしゃっていました。だから私も安心しました。

 世の中にはゴミとそうでない奴が居て、それを分けるのは出来る奴かどうかで。できるやつはゴミは笑いものにして蔑ろにしていいし、そうやって団結して立派に人生を進めていけばいいのだ。

 いやあ、立派でしたね。
 ざまぁ系なろうなら、はらわたぶちまけて、無様に死ぬのがお似合いの悪役として。

 そいつも、私もね。

多分、私の歪みの原点

 カウンセリングを繰り返す中で、私は自分の中のあらゆるものを使って、自分の歪んだ思い込みの元を探ろうとしました。

 勉強しなきゃ、金稼がなきゃ、恋愛できなきゃ結婚できなきゃ子供作らなきゃ税金払って国に貢献しなきゃ。

 できる方でいなきゃ、死ぬしかない。できなくなったらみんなに笑われて、そうなったら生きる価値なんかない。

 三十代も半ばになるまで、私に付きまとい、私の憎悪を煽り、周囲の人間への恐怖をあおってさんざんに苦しめて来たこの歪み。

 私は、七歳のとき、嘘をついて100円を盗んでしまったときに祖父に殴られました。
 いつも優しいおじいちゃんが、嘘をついてお金を盗るということは悪いと教えるために、当然のことをしたまでです。
 ほかに、家族の誰にも理不尽な叱責を受けたことはないと思っていました。なのに、この自己評価の低さがあるのは、何なのか。
 いわゆる虐待はされていない、脳の傷があるわけでもないのに、一体。

 出来る奴でいなければ、死ぬしかない。論理的に確実に証明できる形で、『自分はできる奴』という資格みたいなものがないと終わりだ。そんな二極思考は、一体どこから来たのか。

 さんざん考えて、私はやっと答えにたどり着いたのかも知れません。

 そう、あの『教室』での体験です。

先生から頂いたもの

 私は、あの教室で怠け者に認定され、笑われ、からかわれて恐怖と絶望をたっぷり得ました。後にも先にも、家族の夕食のときに泣いたのはあのときが最初で最後だったかもしれません。

 そして、『怠け者』を脱出した後は、恐怖だけではなく『楽しみ』も得ました。
 自分以下の『怠け者』だと思っている人を、『先生』という教室最強の権威の音頭に乗って笑い、蔑み、馬鹿にして、みんなといっしょになる楽しみを。

 私という十歳の子供の心に、強烈な恐怖と楽しみがあります。

 さて、どちらを選びましょうか。
 答えは簡単。 

 怖い目には、遭いたくないじゃないですか。
 楽しいことばかり、していたいじゃないですか。

 だから私は、勉強しました。
 幼い精神のままの私にとっては、中学になって言われる高校受験の偏差値、高校になって言われる大学受験の偏差値、そして大学になって言われる難関資格という生きる資格がどうしても必要だったのです。

 そこにさえいれば、私に怖いことはない、辛いことはない。だってできる奴という資格があるから。ただただ、そう信じていました。

 あとついでに、単純に気持ちいい性的なことも早く覚えましたね。だって気持ちいい刺激のある間は、怖いとか生きる資格がどうとか考えなくてもいいから。

 具体的には、黎明期のインターネットのエロサイトです。今では考えられないほど、変な性癖、グロい好み満載、フェミニストの方々がご覧になれば卒倒か発狂ものの、黎明期のインターネットのエロ表現にのめり込んでいきました。

 だって、生きることは資格審査なんですよ。受かり続けなきゃ、あそこに戻されるんですよ。あんな目に二度と会いたくないし、それが嫌なら、できるほうで居るしかないじゃないですか。

 そして、そんな生活は辛すぎて気が狂うじゃないですか。誰を犠牲にしていようが(というか、そもそも他人は私を審査して失格なら怠け者として迫害し、合格なら攻撃しないというだけのものだから)気持ちよくなりまくってなきゃ、怖くて気が狂って死んでしまうじゃないですか。

そして、今

 今、私はこの狂気を認めたうえで、なんとか前に進もうともがいています。十八回のカウンセリングで、私より六年も年下のカウンセラーに全てをぶちまけて、やっと心の奥底のものに引っかかりました。

 持っていないものばかりを見ても仕方がありません。

 たとえば、先生は戻ってくる方法を用意していました。それも微妙に不平等になり切らない方法で。

 私も含めた怠け者達は、怠け者という称号はあったけど、授業は受けさせてもらっていました。宿題も平等に出ました。また、怠け者認定を取り消すための条件というのも、宿題の中で出されていました。それは、たとえばブラック企業で新入社員を自殺させるようなキャパシティ越えの研修とは違って、普通の学力を持っている子供なら、できる類のものだったのです。実際私は抜け出せました。他にも抜け出した子は居ましたし、行ったり来たりしてる子も居ました。

 ずっとそこに居たのはほんの一人か二人だけです。彼らは地獄だったでしょうね。だって先生が貶める奴を、誰がかばうんですかって話です。

 一人か二人、そう、四十人近い子供のうち、たった一人か二人をのぞいた、みんなが四年生の過程一年を無事に終えるんだから、万々歳です。

 大体、どこの社会でも結局はひどい扱いをされる立場というのはあります。ガス抜きのために被差別階級を作ること自体、この美しい国である日本でも、ごくごく普通に行われていました。

 現代だって。正直、働けずにお金を持っていないとか、福祉に頼っているという時点で、誰もかれもそういう扱いをするでしょう。ちょっと古いけど、生活保護担当窓口の職員が、保護なめんなと書いたジャケットを着て仕事していたり。
 そうなりたくないから、家庭がめちゃくちゃになって、子供を殺して逮捕されてしまうまで、福祉に頼れない人も居るでしょう。彼らは分かっているんですね。あっちにいったら終わりだって。ならまだ、ばれないように犯罪した方がいいとかね。

 あるいは、本人のせいでもないことが分かっていても、コロナにかかった奴を、クビにしたり差別しまくってやめさせたりする会社とかもあるし。これだって、そうされる人は普段仕事ができなかったり、普段周囲の人から、あいつ正直居なくなって欲しいなと思われていたりもする。いい厄介払いで安心が買えるんだから、安いものです。

 結局そんなものなんです。まともとクズが居て、クズは迫害される。そういう現実が、先生から幼い私たちに、きちんとご教授いただけた、だけのこと、じゃないでしょうか。

 ほら、昨今の流行でしょう。厳しくなる現実をちゃんと生き残れるために、現実をきちんと教えておくことが必要だと。理想ばっかり垂れる教育のせいで、子供たちがすぐに引きこもる、競争力のないひ弱な奴になってしまって困る、という言論もよく聞くでしょう。

 私が狂ってしまったのは、私が弱いのが悪かったのです。だって、ほとんどのクラスの子達は、その後、特に問題なく育っているし、やんちゃざかりの十歳の子供らをうまくまとめるには、これくらいの戦略使ったっていいだろうに。

暴力と狂気

 ――こういう風に言う人が居たら、そいつが金持ちだろうと貧乏人だろうと、善人だろうと悪人だろうと、歴史文化的に重要な一族の末裔だろうとなんだろうと、私は至近距離からショットガンで撃ちたいと思います。

 12ゲージの無数の鉛玉がそいつの体に食い込み、共振を起こして肉と骨と内臓をかき混ぜてぐちゃぐちゃにし、ばらばらにぶっ飛ばすのを是非見たいと思います。

 ただ、心臓か脳を完全に破壊し尽くさないと人間はなかなか死にません。ですので、それでも死にきれなくて痙攣しているそいつの顔面を、八十回くらい踏ん付けて、ぐちゃぐちゃにして、きちんととどめも刺したいと思います。

 さあ、この感情の種を先生は私に植え付けました。そう、憎悪と歪み。

 私の狂気とねじ曲がった人生のこともそうなんですけどね。

 思い出すんですよ、皆にゲラゲラ笑われながら、先生につかまれて教室の外に引きずり出されようとしている、一年のうち、ほぼずっと『怠け者』で過ごさせられた彼のことを。

 論理的には授業に適応できないことが悪いんだから、私も笑って先生を応援していました。それでも、たった一人で泣きながら、なんとかみんなと一緒に教室に居たくて、先生に抗っていた彼のことを。

 子供会のソフトボールチームの練習では、自分の父親にひたすら殴られ、罵倒されていた、運動も勉強もできなかった彼のことを。

 大学生になって、長期休みに、ふとした好奇心で地元のお祭りにいきなり参加してしまった私を、あれから一言も話してなかったのに、最初から笑顔で受け入れてくれた彼のことを。

 十年以上も会ってなかったし、ろくに会話もしてなかったし、それどころか教室では彼を笑っていた私に、昔と同じように、『~ちゃん』と呼び掛けてくれた人懐っこい彼のことを。

 それでも人生が苦しかったのか、結婚もしてなくて、仕事もやめたみたいで、いま、どうしているかもわからないし、連絡を取るのすら、なんとなく気がとがめて出来ない彼のこと。

 ずっと地元に住んでいる私の親も、どうなったのか、口をにごす彼のことを。

 書いてきて気が付きました。多分、彼は私なんです。期間は短くても、怠け者認定されて、絶望と恐怖をさんざんに味合わされた私なんです。

 ――そうか、だから怒りがこみ上げるんですね。

先生の行方

 現実をきちんと知らせて、子供たちの生存能力を高めるいい指導だったのかも知れませんが、早すぎたのでしょうか。F先生の指導は少々問題になったようです。四年生の私達以降、F先生は学級担任を持つことがなくなりました。

 そののち、数年して先生は私の通っていた小学校より規模の小さい小学校に赴任され、そこで教頭を務めたのちに、教師としてのキャリアを無事に終えられたようです。

 私は教師ではないので、先生のキャリアが栄転なのか左遷なのかは、判断のつけようがありません。

 ただ、一人の子供におぞましいほどの憎悪と歪みを作り出すきっかけになったわりには、結構普通に過ごしているんだな、と思います。

 風の便り、というか、同じ市に住む母親の話では、ご退職なさったF先生の住む地域で、彼に話しかける人は、ほとんどいらっしゃらない様ですが。
おかしいなあ、『チップス先生さようなら』とか、穏やかな小説だと、退職なさった先生って大体、地域で慕われる身分だったはずなんですけどね。

 先生の教育手法と、なんらかの因果関係があるんでしょうか。
 あったとしても、私の歪みも、彼の苦しみにも、何の効果もありませんけどね。

 もっというなら、先生の元で何の問題もなく一年を過ごし、人をクズとできる人に分けて、クズを迫害することを無邪気に覚えたであろう私の同級生たち。

 彼らが、私みたいな馬鹿とはちがって、無事に大人になっていき、きちんとした地位に就いている今、子供のときの原体験をどう活かして、他者をどう扱っているか。あるいは、自分の支配に属する自分の家族をどう扱うのか。

 そのことは、この国に、あるいは人類という種族の幸福、人類がはびこる地球という環境に、どういう貢献を果たすのか。
 私は、非常に興味があるところです。

 そして、うまくクラスをまとめて無事に教師を務め終えた彼が、彼の中でうまくいったはずの、三十数人が引き起こす結果を見てどう思うか、ぜひご臨終前にお尋ねしたいところですね。

 ――ま、特に何もないでしょうね。それなりに、みんな、どうにかしていきます。
 どうにかなってないやつが居ても、先生は気にしないんでしょうね。そんなものです、人は。

 そして、私もまた、ショットガンなんか手に入れる気はありません。

 カウンセリングは終わったのです。他者を加害してはいけないのです。たとえ、私が被害者としか思えない何かがあったとしたって。あと、その後に警察にハチの巣にされるか、自分を撃って死ぬのも怖いし。

 すべてはたかが、子供の頃のこと、だったはず、なんですけど――。

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