年とった顔の悪いダルイゼンとしての私


 
 こんにちは。片山順一です。

 今回は、このことについて書こうかどうか、かなり迷いました。
 きっと正気を疑われるでしょうし、恥ずかしいことだと思います。

 だけど、書かなければ私の心の引っかかりは消えない。
 この歪んだ私をえぐり出してみなければ、作品の評価すらできない。

 将来なにかで、この文章がどこかに張り付けられても、構わない。

 いや、構う。でもやってみます。せっかく、本を読み言葉を覚えたんですから。

『ダルイゼン』?

 本題です。ダルイゼンとは、2020年から2021年にかけて、テレビ朝日系列で日曜朝八時半から放送されていた、”ヒーリングっど♥プリキュア“に出てきた敵キャラクターのことです。

 今回のプリキュアが戦う相手は、地球のエレメントや人間の心を蝕む、ビョーゲンズという病原体なのです。ビョーゲンズ達に蝕まれ、苦しむエレメントや人間を救うから、ヒーリングっど♥というわけなのでしょう。

 で、ダルイゼンは、このビョーゲンズたちの幹部の一人であり、赤いコートの似合う美少年といった風貌です。

 性格は名前のごとくけだるい口調で喋り、弱いものを狙ってビョーゲンズを取りつかせて蝕んでいく。まあテンプレの悪役です。同じビョーゲンズの幹部との関係も悪くはないものの、それほど通じ合うわけでもなく、皮肉をいったりして一定の距離を保っているイメージですね。

 偶発的に、人格を持ったビョーゲンズを生み出したときなど、生み出したキャラクターに慕われながらも、捨て駒のように扱ってしまったときもありましたっけ。

 なぜか、主人公である花寺のどかが変身する、キュアグレースに執着する様子があることが、作中でたびたび描かれてきました。

病原体とのどか

 ところで、主人公である花寺のどかは、恐らく六歳くらいから作中の時間軸(14歳?)まで、原因不明の病気におかされていました。だから、小学校にはあまり通えず、治ったことで、ようやく作中の舞台であるすこやか市の中学に通い始めたようなのです。

 なぜ原因不明だったかというと、病気がビョーゲンズによるものだったからで、現代の医学では治療不能なのです。

 こののどかに取り付いていたビョーゲンズが、まだ自我のなかったころの、ダルイゼンなんですよね。
 ダルイゼンは、まだ十歳にも満たなかったのどかの体に宿ることで、ビョーゲンズの幹部になれるほどの力を手に入れていたのです。

 最初、このことはダルイゼン本人ものどかも知りませんでしたが、ストーリー中盤あたりで明かされます。のどかは、自分を苦しめて生まれたダルイゼンを浄化するべく、プリキュアとして戦っていくのですが。

命ごいしたダルイゼン

 ビョーゲンズの首領であるキングビョーゲンは、物語の当初力を蓄えており、人間界の侵食を部下のグアイワル、シンドイーネ、ダルイゼンに任せていました。

 このうちの、グアイワルは野心家であり、なんとプリキュアたちをビョーゲンキングダムに迎え入れて、力のない状態のキングビョーゲンを倒させようとします。

 この目論見は成功し、グアイワルはキンググアイワルに進化。この謀反の企てに対して、ダルイゼンはなにをするでもなく傍観していたのです。

 しかしキングビョーゲンは部下の企てを見破っており、グアイワルは取り込まれてしまい、とうとうキングビョーゲンは復活してしまいます。

 このとき、ダルイゼンもまた、キングビョーゲンから、自我を消し去って服属するよう迫られます。が、ビョーゲンキングダムに所属することで、自分の生きやすい世界を作ろうとしていたダルイゼンは、それを断ります。自我を消されてしまえば、生きやすさもなにもありません。

 裏切り者扱いされたダルイゼンは、負傷したまま人間界へ逃走。のどかに発見されてしまいますが、キュアグレースに変身したのどかに対して、命ごいをするのです。

 自分を生んだのどかの体に、もう一度受け入れてもらえれば、力を取り戻せる。助かることができるからと。

のどかの結論

 すこやか市のあちこちをむしばみ、のどかの大切な人を苦しめ、のどかを悲しませながら、悪びれもしなかったダルイゼン。のどかのことを原因不明の病気で蝕み、大切な子供時代の数年を奪ってしまったダルイゼン。

 絶対に浄化すると思っていた相手が、ぼろぼろに弱って命ごいをしてくる様に、のどかは戸惑い、逃走します。

 その後は、自分の悩みをパートナーのラビリンにもほかのプリキュアの少女たちにも言えず、一人悩み続けます。それはもう、『理科の実験でリコーダーを吹く』ほどでした。

 パートナーのラビリンは、弱いものをかばったり、人の苦しみに強く共感してしまうのどかが、その優しさからダルイゼンを浄化することをためらっているのだと考えます。

 そして、それなら、自分の気持ちに素直になっていいとさとすのですが。

 のどかの結論は違いました。

 のどかは、ダルイゼンを絶対に助けたくなかったのです。

 先述のように、ダルイゼンは幼少期ののどかを一方的に苦しめ、利用していました。そんな存在にもう一度蝕まれることは、たとえダルイゼンが弱っていたとしても絶対に嫌だ。

 これがのどかの本音だったのです。

 しかしのどかは、このとき(四十話くらい。ストーリー終盤)まで、ビョーゲンズに取りつかれて苦しむ者を気づかい、いつも笑顔を見せながらプリキュアとして戦い続けてきました。それなのに、弱っているダルイゼンを絶対に拒みたい、という自分の気持ちを明らかにすることを、苦しく思っていたのです。

 のどかの本音を聞き出したラビリンは、それを肯定し、そんなのどかの気持ちを責める者がいたら、自分がパンチしてやると元気づけます。のどかが戦う覚悟は決まりました。

ダルイゼンの末路

 のどかに拒まれ、キングビョーゲンから追われ、進退きわまったダルイゼンは、生き残るために力を増幅させるメガパーツを大量に取り込み、闇の怪物に変化します。

 強力な怪物へと進化したダルイゼンですが、のどか達プリキュアたちとの戦いには敗れてしまいます。

 とりわけのどかこと、キュアグレースには強く拒まれ、私の心も体もあなたのものじゃない、といった拒絶のセリフとともに、打撃を叩き込まれていました。

 余談ですが、脚本家の女性のインタビューなどによると、この場面はDV被害者の加害者に対する拒絶と独立の場面を意識して描かれていたようです。

 ダルイゼンは浄化され、ほとんどの力を失い、最後はキングビョーゲンから取り込まれて完全に消滅します。最後の言葉は、『俺の体と心だって……』でした。

 私はこの話を見終えた後、意気消沈し、胸が苦しくなり、もうその先を見ることは全くできませんでした。

 だから結末から先は、実際には見ることができていません。ただ、ご存じの通り本作はすでに完結しており、その結末も大まかに知ることができます。

 それによると、ダルイゼンはビョーゲンズとして消滅し、二度と復活することもなければ救済もされていないようです。作中で同情できる点が何一つ描かれなかったうえに、現実の世界で何十万人もの人を殺し、その何倍もの人の人生を狂わせ、今現在狂わせ続けているであろうCOVID19と同じ病原菌なので、仕方がないというところでしょうか。

どちらかというと、ダルイゼンである自分

 私は苦しみました。だって、顔は悪くても、年はとっていても、私にとってアニメは心の癒しだからです。現実の女性は誰も相手にしてくれませんし、実際してもらえないまま、三十も半ばを過ぎてしまったけど、アニメさえ見ていれば、彼女らの心の柔らかい部分に触れることはできたはずだったから。

 怪物になったダルイゼンが、キュアグレースと戦っているときのセリフに、『こんなのは俺じゃない』というのがあって、私自身、こう思ったことは、たぶん数え切れないくらい何度もあります。アニメの中に現れる彼女たちは、そんな私に無条件に寄り添わなければならないと思っています。

 そういう思い込みの醜さ、そして、そのことがどれだけ女性を苦しめているか。それをまさに分からされました。腹の底に、岩でも叩き込まれるような気分でした。

 だって、俺は俺にしかなれないよ。
 都合のいいときだけ、人の体も心の都合も無視して自分だけが癒されたいと女性に願うクソ野郎にしかなれないよ。
 どうやったって、どういう人生だったって、それでしかないんだよ。

 本当はそんなの嫌だけど、どうしていいか分からないし、破裂しそうなほど苦しいから、あなたが欲しいんだ。

 そう言うしかありません。思うしかありません。

 そして、そう強く思う相手を、拒んではいけなかったのが、ここまでの、言ってしまうけどジェンダーバイアスの常識だったはずなのです。

 ここまでされたら、自分の気持ちがどうだろうが、立ててやるのがいい女だったはずなのです。

 それほど追い詰められた男性に恥をかかせるような行為は、絶対的な悪とされ、殺されても自業自得というようにされていたのです。だから、カルメンは最後にドン・ホセに殺されたのです。

 あるいは、宗教規範が余りに強く、婚前交渉した女性を殺すどこかの村みたいに。

 でも、そんな常識は、私の心に巣食っているジェンダーバイアスの様な常識は、もう打破されつつあります。通じなくなってきています。いえ、通じてはいけないんです。

 なぜなら、そこにもまた、相手への視点が足りないから。

欠落した視点、のどかの人生

 私はとうとうと、男としての泣き言を述べてきました。しかし、気づかされたことがあります。

 だって、ちゃんとあるじゃないですか、男の私の人生は。

 私は小学校の六年を元気に通うことができました。みんなに挨拶をして、勉強をし、帰ってゲームをして、たまに友達と遊んで、毎年何度も海に釣りに行くという生活をすることができました。

 なんとなくやってみた水泳教室で上達し、クラスでは誰よりも泳ぎが得意になることができました。だから海に行ったとき、魚や海藻や磯や、綺麗な水中の光景を見ることも楽しかった。夏休みは、ほぼ毎年、日焼けでもがき苦しむほどに、大好きな海や川で遊ぶことができました。

 のどかにはこんな体験、ありますか?

 ありませんでした。なかったんです。奪ったのがダルイゼンだったんです。

 私が、海で友達と笑い合っていたとき、彼女はずっと病院のベッドに居て、話し相手は両親と担当のお医者さんだけで、しかも彼らを心配させないために、ほほ笑んでいました。そうしないと、いつ終わるとも知れない、そもそも治るかもわからない病気の苦痛に耐えられないからです。

 『生きてるって感じ』、という彼女のセリフは、やっと病気が治って自由になれた。自分の心が持てた、自分の人生が持てた、という意味だと私は解釈します。

 そう。彼女の人生はこれから始まるんです。そして、苦しんでいる人を傷ついている人を救うには、自分の意思が必要なのです。

 のどかは、私でいえば、もっとたくさん『海で泳がなければ』なりません。やっと元気になったんです。これから、大人になっていく月日のうちに、様々な友達と会い、自分の好きなものを見つけ、目標にまいしんして、生きることを楽しまなくてはなりません。

 誰かを救いたいとか、救おうと思うとかは、そのあとです。彼女が自分の人生を幸福に過ごしながら、誰かとそれを分け合いたいと心から思えた、その先にある感情なのです。

馬鹿になれない私の選択

 私は馬鹿が嫌いです。事実を認識できない馬鹿が。自分の都合のいい事実しか見られない馬鹿が。だから私は馬鹿になることができません。

 私が知っている事実は言っています。女性たちは、先述の私の言ったような基準に絡めとられ、優しくあることを強制されていると。本来、自発的に発揮されなければならないはずの、心の優しさを、男性への奉仕に使わされていると。

 この場面では、自分の苦痛を顧みず、弱り切った存在を受け入れさせられていると。
 残念ながら、世界中において、それが事実と言わざるおえないのです。

 だから、私は、辛いけど、とても辛いけど、ダルイゼンには死んでもらうほかないんです。

では、何もしなくていいか

 しかし。私は男性です。私には、ダルイゼンの苦しみが分かるような気がします。

 それは、組織に馴染めない男性、とでも言いましょうか。

 グアイワル、シンドイーネ、ダルイゼン。ビョーゲンズのキングビョーゲンは、三人を自分の目的を達成するための道具として見ていました。

 それは、多くの男性が所属する、組織の在り方として一般的です。
 多くの組織において、人は役職という効用を持った道具です。

 男性の社会は、有能で力強いリーダーと、それぞれの立場でそれに従うそれ以下の存在とから成っています。一切何の容赦も情けもなく、です。

 グアイワルは、そんな使われの身が嫌でした。だから反乱を起こしました。新たなリーダーとなることを目指して、組織に適応していたのです。
 他方、シンドイーネは、女性としてキングビョーゲンにほれ込み、積極的に道具となる道を選びました。そこに幸福を見出だしました。

 しかし、ダルイゼンは。彼が目標とするのは、『自分の都合のいい世界を作る』ことです。そのための手段として、キングビョーゲンの元についてはいましたが、自分の存在が消されそうになると、ただ打ちのめされ逃げることしかできなかった。

 シンドイーネのような忠誠も、グアイワルのような反骨と野心も抱けなかった。
 ただ、生きていたかった。苦しいことから逃れたかった。

 だから、多分、自分の中では最も苦しくなかったときである、のどかを求めたんです。

 そのことが、のどかを苦しめることになっても、です。

 俺じゃないと言っても、それが彼自身でした。それ以外ありません。
 もしかしたら、彼は自分のことがとても嫌いだったのかも知れません。

 なぜこんな自分なんだ、という思いは、私も多分生涯にわたって持ち続けるでしょう。

 のどかが苦しめられてはいけない、のどかの心と体を尊重しろ。
 それは分かるんです。

 では、組織になじめない自分が嫌いな男は、黙って死ぬしかないんでしょうか。

間違いの元

 多分、のどかが犠牲になるか、ダルイゼンが死ぬ、という選択肢しかないのが間違いなのでしょう。

 キングビョーゲンに向かって、のどかが言うせりふで、『ダルイゼンをここまで追い込んだのはあなたじゃない』というのがあります。

 絶対的な支配者がいる。そいつを倒すか、楽しく従うか、心を殺して従うか、あるいは組織から追われて死ぬか。

 この世にそんな荒涼とした生き方しかないと思い込んでいるから、私のような男は、女性の力の弱さに付け込み、自分の感情を慰める手段にするしか、とる方法が無くなってしまいます。

 古来より続いてきた、力のない男は死ぬしかないという価値観が、死にたくなくて力の弱い女性にすがるという、悲しく情けない男を生み出してきました。
 そして、そんな男性にすがってしか生きていけない女性と、そんな男と女の間に生まれた子供たちが同じような運命をたどっていく連鎖を。
 そのことが、古典としてまとめられ、教養として蓄積され、歴史となり文化となり大切にされて人類が平和に続いていく。

 誰かがそれに逆らって、変えていかなければ、この先も力の弱い男性は生まれ続けます。自分が嫌いだと思いながら、それでも生きるために、弱者を虐げて自分を保つ人が生み出され続けます。

 最初、私はのどかを、キュアグレースを憎みました。プリキュアのくせに、ヒーローのくせに、自分を殺して俺を救ってくれない最悪の裏切り者がと思いました。

 でも、違ったんです。私は怒ってたんじゃありません。それよりも、ダルイゼンが救われないことが悲しかったんです。悲しくてしょうがなかったから、のどかに怒りをぶつけていたんです。

 本当は怒りの矛先を、のどかに頼るしか救われないような存在を作ってしまう価値観に対して、向けるべきだったのです。

 すなわち、垂直的で固定した序列に。
 強いものが弱いものをしいたげることに。
 強くなければ生きられないという、ことそれ自体に。

 方法は、分かりません。
 だけど、怒りが間違いだということだけは、分かりました。

今思うこと

 辛い戦いも多かった本編の後、花寺のどかという女の子が、何物にも虐げられることなく、自由に、楽しい人生を送ってくれることを望みます。心の底から満たされるような幸福感の中で、生きていることを噛み締めて欲しいと思います。

 そして、『こんな俺』にしか生まれて来られなかったダルイゼン。
 あるいは、私も含めた、年を取ったみにくいダルイゼンが、少しでも生きやすくなるにはどうすればいいか。のどかのような女の子を虐げることなく。

 私は、考え続ける必要があるでしょう。
 またもや、ライトノベルの主流から外れるような気がしますけど。


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