若者と怒り


最近の若者は穏やかで優しくなった

 テレビでしか、若い人を見ないのですが、どうもこういうイメージがあります。
 最近の仮面ライダー、私がみた『ビルド』の桐生戦兎やジオウの常盤ソウゴも、やるときはやります。でも、基本的には優しく繊細そうで、傷ついている姿が似合います。

 男性の弱さというのを表す作品が多い気がするんですよね。たとえば音楽なら私がかろうじてわかる、RADWINPSにしても、米津玄師にしても、ちょっと古いけどSEKAINOOWARIにしても。おおよそ激しい攻撃性とは無縁な気がします。私の好きなかつてのブルーハーツとか、あるいは海外のパンクミュージシャンたちのように、社会や大人の汚さ、ずるさを激しく言い立て糾弾することと無縁に見えます。

 お笑いなら、ぺこぱ、でしょうかね。いじめの拡大再生産につながっていたと思われる、おかしい人をいじって笑う、というスタンダードに風穴を開けました。

 そんな私には、SNS誹謗中傷からの木村花さんの自殺は寝耳に水でした。
 彼女はテラスハウスというリアリティーショーに出演しており、その映像での役割により憎まれてしまい、SNSに誹謗中傷が集中して、そのショックで自殺したようなのです。

 テラスハウスは、主に若い世代に向けて制作されており、SNSに重点を置いて作られていたようで、誹謗中傷を若い世代がやったことととらえるのは的外れではないでしょう。私はそこに、テレビで見る人たち、あるいはこのNoteで優しい言葉を掲げる若い方々との言いようのない断絶を感じるのです。

 あれ? 優しいんじゃなかったの。と。

怒りのポイントはなにか

 テレビでは自殺のニュースの後、誹謗中傷に参加したという若者が、匿名でインタビューに答えていました。(この人がテレビ局の仕込みかもしれないことは承知していますが、一応そうではないという前提でお願いします)

 どうも彼はいいことだと思ってやったようなのです。というのは、問題になったのは、木村さんが共同生活をしている男性を叱責するシーンだったからです。

 テラスハウスは若者の共同生活を放送するリアリティショーです。参加者の男性は良かれと思って木村さんのステージ衣装を洗濯しましたが、失敗でした。特殊な衣装なので洗濯のせいで縮んで着られなくなってしまいます。そこで木村さんが男性を叱責するシーンとなり、放映された後、SNSに批判や中傷のコメントが殺到したようなのですね。

 良かれと思って、というのがポイントかなと思います。花さんがすでに女子プロレスラーとして一定の知名度や活躍する場を持っているのに対して、男性はあくまでテラスハウスに出られた普通の人に過ぎないようでした。何もない人が何かを持っている人のために、何かしてあげようとして失敗したという趣旨にも思えます。(本当は当事者二人の関係は特に悪化もしてないし、OAこそされていませんが仲直りにLINEしたりしていたようなのですが)

 インタビューされた彼は、この叱責シーンについて、すでに社会的地位を持っている人が何も持っていない人を追い詰めているように見えたという趣旨を語っていました。それが間違っているというニュアンスで。だから、弱い者いじめを止めるつもりで、書き込んだのかも。

 若者は優しいと思います。ただそれは自分たちが平等に扱われていると思っているときだけなのでしょう。理不尽や不平等というのを感知したとき、私のような中年の男性は黙って諦めるなり、お酒を飲んでまぎらわしたり、性的なことに逃れたりします。でも若者はそうはいきません。激しく憤り、挑みかかっていくことがあります。

 こういう性質は、わりと昔から、共通しているかなと思うんですよね。

何が不平等で平等か分かりにくい

 もしインタビューの彼の発言を真に受けるなら、理不尽に力をふるう強大な存在に立ち向かうつもりで書き込んだのでしょう。あるいは、数日で数百件に及んだという、おびただしい中傷コメントを書き込んだ人たちもそうなのかも知れません。しかしその相手は、じつのところ繊細で優しく、強くもなかったために心を傷つけられていた。とうとう、死んでしまった。というかそもそも、編集や放送側の都合で、『悪いことをしたくなかったのに、したように見せられてしまっていた』のかも知れません。

 わかりやすさには罠が潜んでいます。あらゆる物事は、それほど単純ではありません。(難しいことを、わかりやすい所から考えていくことは、とても大事ですが、そのことは置いといて)

 あることが不平等かどうかは、じつは判定が難しいのです。笑いながら人を殺して村を焼いて、子供をさらっていく分かりやすい人非人なんてめったにいません。たまに居ることがありますけど。

 若者をあおる方法は簡単です。できるだけわかりやすい言葉で、若者に身近なことを不当だとか不平等だとか強く断言すればいいんです。じっさいどうかは完全無視で。そうやってみなさんを取り込もうとする大人は、とどまるところを知りません。かくいう私も、自分の作中で悪を作るとき、この手法を使っています。

 ことに最近は、対立するどんな政治勢力も陣営も、自分たちが不当に不平等に扱われていると叫びますから、ますます若者は混乱するしかありません。

 本当はこんなこと、大人がやってはいけないはずなんですけどね。それでも若者の支持が欲しい、というのもわかる話なんです。若者が支持し、お金を払うのが前提のサービスも、表現も、あまりにも拡大しています。

 地位も金もない大人ですが、謝ります。すいません、こんな大人で。

ではどうすればいいのか?

 この事件の一年ほど前ですが、菅田将暉主演のドラマ、3年A組―今から皆さんは人質です―という作品がありました。この作品はSNS誹謗中傷をもとにしているのですが、最終回で菅田将暉演じる教師が配信を見ている若者に向けてメッセージを伝えるシーンがあります。

 この最後の独演場面はYOUTUBEに投稿されており、確か百万に迫るほどの視聴数と数千、数万ものコメントで埋め尽くされています。事件の直後私がのぞきに行くと、ものすごい勢いでおそらく若者であろうコメントが激しくやりとりされていました。放送局側は著作権侵害ながらお目こぼしをしているようです。2020年7月現在、動画があるのかはわかりませんけど。

 彼らは一人ひとり、こういうドラマがあったことに気が付いたとか、ドラマがあったのにSNSで人を死なせてしまったとか、どうせこんなものは無駄でこれからも人は死ぬとか真剣に意見を述べているように見えました。

 私はそういう若者の姿勢を、頼もしく感じます。

 この件では、2020年8月時点で、SNSの匿名性を大幅に奪おうとか、規制を増やそうという意見が大勢を占めているようです。ただ規制というのは、自分の力で間違いを止められない人を国の力で無理やり止めるということになります。つまり信じていないのです。止めてやらなきゃ悪いことをするやつだと思われているのです。

 私は、若い人を信じたいと思います。この件が他山の石となり、彼ら全体がよいほうへ向かっていくことを。怒りの使い方を間違えないよう、少しでもいい大人に変わっていくように、励んでいくことを。

 だから、激しい規制はまだ性急ではないか、と思うのです。

 ちょっと重たいかもしれませんが、提言でした。

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