ベルセルクと私


 またまたお久しぶりです。片山順一です。今回は、私に影響を与えた作品と、その作者の方について。

信じられない訃報

 2021年5月21日、三浦健太郎氏が亡くなられていたことが明らかになりました。
 彼は、ヤングアニマルで『ベルセルク』という漫画を連載しておられました。期間は、80年代から現在2021年。40巻が出版されたものの、未完結で絶筆となりました。

 ベルセルクは、私(そろそろ36歳)くらいの世代でいわゆるオタクと呼ばれる方で、影響を受けない人が居ないだろうという漫画です。

 中世ヨーロッパに近いですが、架空の世界。(『ミッドランド』や『クシャーン』といった国があってあちこちで戦争をしています)主人公の元傭兵ガッツは、闇の使徒と呼ばれる魔物によって烙印を刻まれ、狙われながらも人間のままで逆に彼らを倒していきます。

 なぜガッツが烙印を刻まれたのか。ガッツと共に使徒と戦う旅をする者たちの想い、またガッツの居た傭兵団を率いていた元親友グリフィスの闇など。

 そういったキャラクターの内面に迫るストーリー以外にも、リアルな中世ヨーロッパの戦争事情、各種の武器の活躍、当時の剣術や武術などが、事細かに描かれています。とくに剣術については、私が資料として購入した、中世ヨーロッパの武術の本に描かれた鎧破壊の技が、そのまま使われていました。ゲーム的なファンタジーとは一線を画しています。
(ただ、こういう詳細な設定について、昨今好まれる作品の事情を考えると、リアルな事情を調べたし知っていて使いたいんだけど、使えないと嘆く声もあることは、存じています)

力強い絵

 圧巻はやはり画力でしょう。もはや漫画でなく絵画と呼んでそん色のない書き込みで、大剣を振るうガッツの壮絶な表情、美しく力強い肉体、死んでいく者たちの恐怖やおののきの表情、使徒や死霊たちのおぞましいさまが描かれています。

作者である三浦氏の眼には、モブキャラなんて存在していないかのようです。使徒から逃げ惑う人々、闇の力による大破壊の中たった一コマでむごたらしく死んでいく者、誰一人として見逃されません。あらゆるコマに、手を抜いている表現がほぼないので、読んでいる間はまるで世界の中に自分が入り込んだかのような体験ができるのです。

 個人的にこれは、八十年代アニメの影響が強いと思われます。この八十年代は、アニメを大人向けにするというコンセプトのもとに様々な作品がつくられていました。単純な話、細かい書き込みや写実的な絵が流行していたようなのです。

たとえば、超能力の発現シーンや、変化増殖していく鉄雄の肉体などが圧倒的な画力で書き込まれたAKIRAは、八十年代の作品でした。

私の体験した一例をあげるなら、マクロスシリーズの最初の作品がこの頃です。私が驚いたのは、映画で巨大な敵ゼントラーディの戦争指導者の下に辿り着いた主人公の駆るバルキリーが、バルカンポットで頭部に弾丸を撃ち込んで倒すシーンですかね。

 ゼントラーディは顔色の悪い人間のような姿の宇宙人なのですが、人間と比べてはるかに巨大なのです。特に司令官の大きさたるや、顔だけで、バトロイド形態に変形したバルキリー(マクロスに登場する戦闘メカ。ちなみに“マクロス”とは主人公たちが住んでいる戦艦のことです。未見の方の中には、バルキリーをマクロスだと思っていらっしゃる方が多いのは有名なことだったりします)を上回るほど。全身と比べると主人公の駆るバルキリーなど羽虫のようです。

 その巨大な顔面がバルカン砲を撃ち込まれて血を噴き、肉が飛び散り、骨が砕けて中身が噴き出るさまが、これでもかというほど細かく書き込まれていました。時間にしてほんの数秒のシーンだったのですが、なぜこんなにグロテスクに詳細に書き込む必要があるのだろうかと、深夜に再放送を見た高校生当時、驚いたのを覚えています。

 ただそれは、八十年代当時としては、戦いを描くにあたってリアルにすることこそが至上だと考えられていたからだと思われます。
 ざっくり八十年代でくると、『逆襲のシャア』でケーラ・スウというキャラクターの死に方なども、リアルで悲惨なものだったように思います

 ベルセルクを読んでいると、とにかくなんでも事細かに丁寧に描く、という当時の作品の影響をありありと感じるのです。

現在の漫画と画力

 あらゆるコマに手を抜かず、詳細に描き込むというスタイルは、どうしても作画に時間を要します。
 現在漫画の無料配信アプリなどもあり、目まぐるしく変化するトレンドについていくためにも、早くたくさん書けることは武器になっているようです。しかし、三浦氏のやり方は全く逆を行っていたといえるでしょう。

 それでも、2021年現材において、漫画を評価する場合に画力というのは十分通用するひとつの軸であり、重く見られているのでしょう。遠く八十年代から二千二十年代まで、『画力の高い漫画は優れている』という評価軸を、三浦氏はベルセルクという作品によって伝え続けていたともいえます。

 そんな見事な絵を書き、訃報のニュースによれば、コミックスだけで四千万部を売り上げていたというベルセルクの作者が身まかったことは、悲劇以外の何物でもありません。

でも、生きている私

 そして、一方の私です。

 この記事とか読んでいただければ分かるでしょうが、私は物語こそ書いているものの、いまだアマチュア作家のままです。しかもかなり怠惰で情けない部類の。

 でも、そんな私が今生きているのです。考えてみたら皮肉なものだと思います。

 私は死にたくありません。ありませんけど、もし、死神みたいな奴が芸術にかかわる誰かの魂を連れて行くことになっていたのだとして。ベルセルクの作者を連れて行くくらいなら、私の魂を連れて行った方が、芸術界にとっては良かったのかも知れません。

 未来は分からない。分からないけど。現時点では、私より、三浦氏の方が多くの人を感動させるものを生み出し続けていたはずだというのも、ひとつの見方です。

 なのに、私が生きている。アマチュアだけど、百四十万文字に達した大長編のまさに最終段階を今書かせてもらっている。

 新人賞の投稿も少なく、まして計画も目標もない惰性で生きている人間が、それでも今のところはある程度健康で、自分の作品にしがみつくことができている。

 改めて思うと、なんだか自分が重大なことをしているように思いました。
楽しみにしていただいている方のために、完結させねばならないと思います。

 私の小説は、恐らくベルセルクから結構な影響を受けているでしょう。ベルセルクを読んだのは三十台になってからなのですが、影響から逃れることができませんでした。そういえば、以前書いたダンジョン飯のレビューでも、ベルセルクの影響を指摘したことがありましたね。

 たとえ未完でも、ベルセルクという名作は、セリフの一つ一つ、微細な線の一本一本から、見る者に何かを伝えてくれることでしょう。

 三浦健太郎氏は、素晴らしい芸術作品を生涯生み出し続けました。ほんの短い間でしたが、彼の作品を読みながら、同時代を生きられたことを幸福に思います。

 氏のご冥福を心からお祈りいたします。そして、漫画、小説、ゲーム、この国や世界で生まれゆくあらゆる物語の中に、ベルセルクという名作が生き続けていきますように。

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