努力と義務の4月3日

自転車乗って家を出ると、ファミレスの駐車場の隅で自転車を停めて立ってる警察官の後ろ姿が見えた。恐らく反対側からやって来る人には、その姿は見えないだろう。何か違反を発見し次第、死角から踊り出て取り締まってやる、っていう感じの位置取りだ。そして何より、お巡りさんはヘルメットをかぶってた。

そうだ。4月から自転車のヘルメットが義務化とかなんとか、そんな話があった。もう4月だ。おれ、ヘルメットない。このまま自転車に乗ってあの人の前を通り過ぎたら、即座に後ろから笛でも吹かれて、慇懃かつ威圧的にヘルメットの指導を受けるんだろうか。ドキドキしながら通った。なんもなかった。そうか、そいえばヘルメットは努力義務って話だった。

で、「努力義務」ってどういう意味だ。とりあえず最悪の字面だ。「努力」と「義務」の悪魔合体。こんなに嫌な組み合わせの言葉があるだろうか。大体、努力をしてるってことは、どうやって証明するんだ。一般的には、それは結果で証明するってのが定番じゃないのか。ホームラン打つとか、尿酸値下げるとか、努力の成果ってやつで。

すると、ヘルメット着用の努力の証は、やっぱりヘルメットを着けた姿そのものじゃないのか。「努力義務」と「義務」の違いがわからん。ヘルメットを着けたいのは山々で、一生懸命探してるとこなんだけど、まだピッタリくるのが見つかってないんだよなあ、みたいな顔をして自転車こいでればいいんだろうか。そのメソッド演技はどうやるんだ。

今日は結局、ヘルメット姿の警察官を2人見た。お巡りさんはもうヘルメット装着がデフォルトになったんだろう。問題は、「努力義務」っていうワードを振りかざしてこっちに牙をむいてくるのがいつかってことだ。その前に「努力義務」について調べるか、あえてやめとくか。悩ましいところだ。とっとと調べろ。

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