人喰いおじさんの2月24日

ルカ・グァダニーノとシャラメの人喰い映画み~よお、っつって軽い気持ちで「ボーンズ・アンド・オール」を観に行ったわけだが、結果的には今日もまだ、サリーが頭のどこかに住み着いている。

シャラメの人喰い映画には違いないんだ。シャラメが出てきたし、人喰ってた。女の子が主人公の食人族ロードムービーだったのは意外だったけど、まあそれもいい。マーク・ライランスが出てるのも知ってはいた。何やらブリーフ姿で人を喰うらしいって聞いて期待もしてた。ただ、このマーク・ライランスが演じるサリーっていうおじさんにこんなに思い入れが生まれるとは。

どれだけ多様性が認められる世の中になったとしても、到底受け入れられる見込みのない、マイノリティの極北としての食人族を描いたこの映画において、サリーはその食人族の中ですら群を抜いて孤独なおじさんだった。主人公と同じ属性を備えたキャラクターとして、主人公に訪れ得る最悪の未来を提示する逆ロールモデル。

「友達にはサリーって呼ばれるんだ」と自己紹介するサリーは一人称も「サリー」であり、つまりは「友達」はサリー自身であって、サリーはサリー以外に「サリー」なんて呼ばれたことは、たぶん生涯で一度もない。長年かけて鍛えられた異常な嗅覚で死にかけの人間(家で倒れて孤独死しそうになってる人とか)を遠くから見つけて狩りをしている。追悼の意図もあるのか、食べてしまった人の髪の毛を拝借して編んできた紐は、今や「綱」と呼ぶにふさわしい太さと長さを誇っている。

人喰いシャラメと食人族同士の美しい恋に耽る主人公にとっては、サリーはとんでもなくキモい存在だ。いや、実際キモいよ。キモいさ。でもさあ、誰に理解されるあてもなく、きっと半世紀以上、一人ぼっちで人肉を喰らって生きてきたんだから、そりゃキモくもなるでしょうよ。「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムを凌ぐレベルの凄まじい孤独の中を生きてきたサリーが切なくて切なくて、サリーを冷たく扱う映画自体に若干の反感を覚えてしまうくらいだった。

社会の裏側で人肉を喰らって生き続けてきた食人おじさんにこんなに思い入れを持ってしまうっていうのはヤバいことなんだろうか。でももう、個人的には完全にサリーの映画になっちゃったんだよな。次観たら最初の登場シーンで泣いちゃうかもしれない。っていうか、そもそも二日前に見た映画の話しか書いてないものを日記というのか。まあそれはいいか。日記なんだから、こっちの勝手だ。

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