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読書ノート 「華厳経入法界品 中・下」 梶山雄一他 訳注

                    

 『入法界品』とは、『華厳経』の一部分であり、『華厳経』の末尾に収録されている。サンスクリットの原題は『ガンダヴィユーハ・スートラ』。成立経緯は明らかではないが、西暦200-300年頃には完成していたらしい。

 スダナという王子(スダナ・クマーラ、善財童子)が、文殊菩薩に促されて悟りを求める旅に出発、53人の仏道の善友(仲間・師)を訪ねて回り、最後に普賢菩薩の元で悟りを得る様が描かれる。(一説には、東海道五十三次の53の数字の由来は、この『入法界品』にあるとされる)

 『入法界品』の成立は、華厳経のなかでも最も早期であったと考えられている。また、華厳経全体としてのサンスクリット本は、現在においても見つかっていない一方で、『十地品』と、この『入法界品』はサンスクリットの完本が現存する。

 この経典でスダナ王子は、文殊菩薩の勧めるところに従って悟りを求める旅に出る。インド南端のドゥヴァーラヴァティーに至り、南海に望むと、スダナ王子はマハーデーヴァの勧めるところに従って、北インドのマガダ国にふたたび歩みを進める。スダナ王子はカピラヴァストゥ、須弥山を巡り、マガダ国のヴァルタナカにまで至ると、今度は進路を南に向け、南方のサムドラカッチャ、すなわち海岸地域にまで至る。ここでスダナ王子は弥勒菩薩を拝し、さらに数百もの城を旅し、文殊菩薩に見え、最後に普賢菩薩のもとで悟りを得る。

 華厳宗を大成した唐の法蔵は、教えを乞う側である善財童子と、教えを説く側の善知識の関係を、以下のように説いている。

「善財と善友というものは二つの相(すがた)がない。善友のほかに善財はなく、善財のほかに善友はない。善財と善友は不二である。(法蔵)」

 仏教学者、研究家・鎌田茂雄は法蔵のこの発言について、善財童子と善知識の関係は、先生と生徒が不二の関係において法界(真理の世界)をともどもに学んでいく、ということを主張しているのだ、と説明している。

 仏教学者の木村清孝は、この経典を成立させた背景には、資産家層と女性、それに南インドのドラヴィダ人からの支持、あるいはこれらの人々にも訴求しうる内容にしようとした編纂者側の思惑があったと推測している。(ここまでウイキペディアより)


 梶山雄一のコメントが素晴らしい。   

「私は大乗経典、特に『華厳経』の仏の神変を読むたびに、それが宇宙の生成と発展を象徴しているのだ、という思いをもちます。仏の身体のある部分、たとえば毛孔から放たれた光明が全宇宙の果てまでも満ちわたる、ということは極地の初期宇宙が爆発して膨張を始めたということに極めて似ているからです。光はある程度集合して束になってはじめて相互作用をおこないます。この作用をするために必要な光の束を光量子といいます―これはアインシュタインの発見で、彼はこの理論によってノーベル賞を得たのです。その光量子よりも小さな単位では光は作用いたしません。これは、粒子のエネルギーが低いときには作用せず、真空状態にとどまっているのと似ています。光は電磁気力エネルギーに他なりませんが、それも真空から励起して作用を開始するわけであります。

 仏教では宇宙の諸世界に仏や菩薩がいるといいます。他方、現代の宇宙論では、地球以外の惑星に生命がある、ということはまだ発見されていませんので、どうしてこの地球に生命が生まれ、人間のような知的生命まで進化したかはよく分かっていません。もちろん、地球以外の惑星に生命の存在することが将来発見される可能性も否定されません。しかし有力な理論のひとつは、生命は微生物の形で宇宙から降ってきて地球において進化した、といいます。またはじめは二酸化炭素に満ちていた地球の大気の中に酸素ができてきて、数十パーセント含まれるまでになったのは微生物や植物の光合成によって可能になったのです。分子生物学では、遺伝子(DNA)からリボ核酸(RNA)に託される遺伝情報は、四種類の塩基のうちの三種類の組み合わせ暗号になっていますが、この酸塩基暗号は人間を含む動物・植物微生物に共通していることが発見されています。仏教は人間も動物も同じ衆生であるとして、その間に区別を設けず、また大乗仏教になりますと、山川草木もことごとく成仏する、といいます。そしてそのような生命が宇宙に満ちている、宇宙に仏・菩薩が無数にいる、ということもけっして荒唐無稽なことではありません。

『華厳経』の相即相入の思想では、一瞬のうちに無限の時間がおさまり、過去、未来が現在に収まる、といいます。このことは現代の物理学のいうこととあまり変わりません。光も一秒間に三十万キロという有限な速度で走りますから、われわれが今みている遠い銀河の光は実ははるかな過去に放たれたものなのです。宇宙の天体を見るということは、じつは、宇宙の過去を見ていることなのです。現代では百億光年から二百億光年も遠い距離にある銀河を見ることができますが、それはわれわれが百億から二百億年前の宇宙を現在見ていることです。そうであれば無限の過去が現在の一瞬に収まっているにちがいありません。未来において宇宙が膨張を止めて収縮に転じ、やがてはビッグクランチにおいてもとの極微の宇宙あるいは特異点にまで収縮すると予想することは、未来が現在に収まっていることであります。

 太陽はいずれはその核融合反応の燃料を使い尽くすか、あるいは爆発して死んでしまいます。当然、地球は太陽と運命を共にいたします。それはあと五十億年ほどすれば必ず起こることであります。しかし、太陽や地球が壊滅したあとにのこる塵や粒子はやがて集まってふたたび恒星や惑星をつくります。驚くべきことに仏教は地球の輪廻―地球が成立・壊滅・空無に帰するとき、あらゆる衆生は救済される、といいました。それは実は空より生まれた衆生が空によって救われるということなのであります。その地球の最後の空を、いまこの世で悟って救われることを仏教は説いているわけです。現代の物理学者が理論と実験によって知り始めたことを、二千年前の仏教者は瞑想において直観していたのであります」
(『梶山雄一著作集第三巻 神変と仏陀観・宇宙論』)

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