【1$の価値】その8。(最終回)

シモダです。暑かったり寒かったり半端な天気ですね。

さて、過去7回に及び(今回で8回目)『1$(100円)で何ができるか』について言及してきたこちらの更新も、いよいよ今回が最終回。月1回ペースの更新なので、今日に至るまでおよそ8ヶ月もの間常に「100円あったら何ができるか」を考え続けたことになる。怖い。兎にも角にも最後なので、これまでに更新した記事を自身で振り返りながらセルフライナーノーツ的なもの(言ってみたかっただけ)を書いてみたい。ライナーノーツってなんだ。

1記事目『パンのみなし増額に憤る』(1$×コンビニ)

クリエイター集団のnoteリレー企画に参加したはいいものの、普段何かをクリエイトする訳でもない人間がどうやって関わろうか。まずはそこからだった。ブランド名の1$WONDERLANDからアイデアを拝借して、「1$でいかに世界を楽しめるか」に至るまでにそう時間は掛からなかったので、100円を握りしめて早速最寄りのコンビニに駆け込んだのが全ての始まり。この頃はまだ消費税(当時8%)やドル円換算を正確に守っており(初回なので当たり前だが)、己の真面目さ(と後の記事で己の甘さ)をご披露する形になってしまった。

〜後日談〜
コンビニで販売されているパンの名称や価格が変動しやすいのは記事内でも触れたことだが、驚いたのは記事を公開してから現在に至るまでのこの短い期間にも某F社のくるみパンの名称は変更され、値段は増額されている。増税で原材料の価格も高騰しているだろうから止む無いこととはいえ、一足遅かったらこの企画で取り上げることができなかったので102円(税込110円)の時に出会えててよかった。あとはこの調子でパンのサイズが女性に優しく(小さく)ならないことを切に願う

2記事目『劇場版公開で価値高騰する』(1$×古本屋)

前回は企画を思いついた勢いでコンビニに走ったが、その後改めて「100円で何ができるか」を考える日々が続いた。その間にも度々書店(古本屋)を訪れながら、「いや、100円で買えるやん」と2回目の開催場所に選んだ。

選んだものの、ただ単に買って読んで面白いねじゃなくてそれを使って記事にしなければならないという変なプレッシャーが働いて、いつになく本選びが難航した。こういう時に選ばれる本は大抵スベる傾向にあるが、バカリズムさんの『架空OL日記』というベタベタな選択をする事でそれを回避。今読み返しても置きにいってるのを強く感じるが、他人様へ寄稿する企画の2回目で早速スベり散らかすのだけは避けたかった

〜後日談〜
予言でもなんでもないが、この寄稿文を投稿した翌日(ぐらいだったと思う)に『架空OL日記』の劇場版公開が公式発表された。寝耳に水みたいな話だったが、おかげでスベらずに済んだので、今後アンケート用紙で好きな芸人を記入する欄があったら迷わず「バカリズムさん」と書くことを心に誓った。

3記事目『駄菓子屋の目線は腰に優しくない』(1$×駄菓子屋)

前回古本屋で本を選びながら、「これは誰かと一緒にやったらもっと面白いのでは?」との素朴な気づきを得た。舞台を駄菓子屋にして、某水色のSNSにて参加者を募った。結果4名の大きいお友達に反応をいただき、日曜のお昼から某大型ショッピング施設の中にある駄菓子屋に揃って出かけた。

もう大人なので駄菓子は金額を気にせず好きなだけ買えるし、限られた予算の中で選ぶのは昔々の遠足ぶりでなんだか新鮮だった。買い物にきていたちびっこ達に当時の自分を重ねながら、その子らと同じぐらいの童心を提げて菓子を選び、場所を変えて発表をした。同じ駄菓子屋で選んでもそれぞれに個性が光り、話を聞いてるだけで面白かったし、よくわからない単語も度々飛び出した。その時の参加者だけでなく、別途駄菓子屋で購入してきた写真を送ってくれた人たちもいて、瞬間的に想像以上の盛り上がりを見せた。

〜後日談〜
全員の個性が見える菓子選び企画だったが、中でも某参加者が購入した石原裕次郎のブロマイドはいまだに記憶に残っている。唯一にして絶対の企画意図(1$で遊ぶ)をど無視して予算を大幅に超過していたため失格になったものの、個人的には優勝をあげたい。(とはいえ失格)

4記事目『消費するだけが脳じゃない』(1$×スマホシート)

4回目にして初の紹介記事。それまでの「1$を使って自分がどう遊ぶか」ではなく、「1$を使ってどう遊んでもらうか」に関する取り組み(たまたま金額感がちょうどよかったのでこじつけた)を取り上げた記事を書いた。

過去の企画(古本屋、駄菓子屋)もあくまで遊び方を紹介しているだけで、1$(100円)あればこんな面白いことができるよと色んな角度から伝えているだけだ。全てにおいて共通していることは、かけるコストが低いので万一失敗しても多額の出費をした場合と比べて「100円ならまあいいか」で片付けられる。コストが少なければリスクも少ないということがこの辺りでようやくわかった。当たり前の話をたいそうな感じで言ってしまって申し訳ない。

〜後日談〜
クリエイターズスマホシートの取り組みは現在も続けられていて、その分関わる方も増えていってて凄い。周りを巻き込むお手本のような活動をしている。個人的にもお店とコラボして描いてもらったイラストをシートにしていたが、雨の日にカバーの隙間から浸水したのか滲んでしまった。携帯が防水だからと高を括り、シートがセブンイレブンのコピー用紙でできていることを完全に忘れていたのが敗因。

5記事目『結局スベるのは誰だって怖い』(1$×100円均一)

5記事目で満を持して切り札の登場。企画を思いついた時からいつ使うのか躊躇し続けていた(正直ここに頼ったらもう終わりだと思っていた)100円均一のお世話になることに。記事更新の最中は林修先生の名言「いつやるの? 今でしょ」を心の中で連呼して自分を慰めた。

これまでは100円という制限のおかげで狭められた少ない選択肢の中から選んでいたが、今回に関しては基本全てが100円なので選ぶのが難しかった。この企画の醍醐味はお値段(100円)以上のパフォーマンスを叩き出すことだし、その点100円均一にあるだいたいの商品はお値段相応なものである。言うなればスベりの地雷原。下手なものを購入して詰まらない結果にならないよう細心の注意を払った。

結果買ったのが羊毛フェルトキットだった。細心の注意とは一体なんだったんだろうか。この数日前に周りで羊毛フェルトが少しだけ流行っていた影響を受けたのかもしれない。とは言え買ったからには作成しないといけないし、それを記事にしないといけない。開店前の静かな店内で一人地道にチクチクと針を刺した。

〜後日談〜
所要時間2時間半の作品をおよそ40分で作成した結果、予定よりも大きめのペンギン(というより見た目は完全におじさん)が完成した。このおじさんは以降しばらくの間店内に鎮座していた。途中目がなくなり、足がなくなり、満身創痍になりながらも最後まで目の前にいるお客様がたの心を和ませ続けた。

6記事目『一生聴けないCDがある』(1$×中古CDショップ)

2記事目のCD版。アルバムも中古なら100円で買えてしまう恐ろしい時代。当時定価で買ったCDがずらりと並んだ棚を眺めて切ない気持ちになりながら選んだ。もしもタイムマシンがあるなら、お小遣いを握りしめて商店街のCDショップに走ってTMRevolutionの『青い霹靂』を買った小学生の自分にそっと中古CDを渡してあげたい。そして小学生の自分が知らないおじさんからいきなり差し出されたCDを受け取らない子供であることをこの目で確かめたい。

古本屋の時もそうだったけど、「予算100円」という縛りを設定することでいつも通ってるはずのお店が全く違う景色になって良い。普段なら目移りするちょっとお高めの商品もこの日ばかりは目もくれなかったので、無駄遣いはしたくないけど買い物はやめられない方にはぜひお勧めしたい。衝動買いしても100円ならそこまでダメージは大きくないはずだ。

〜後日談〜
音楽が当時の記憶を呼び起こすのは良くあること。この記事で取り上げたYUKIのアルバムもそうだが、その次に発売された『WAVE』というアルバムが一番好きで、当時あまり乗り気ではないバイト先への道中に聴いて気分を高めたり、バイト先でなじられた帰り道で聴いて自分を慰めたり、兎に角そのバイト先への往復はずっとそのアルバムを繰り返し繰り返し聴いていた。その結果、そのアルバムのジャケットを見ただけで当時浴びせられた罵声の数々を思い出すことになり、以降今に至るまで聴けていない。好きだからと言って迂闊に頼っていると、後々聴きたいのに聴けないハリネズミのジレンマに襲われることもあるので、普段同じアルバムを繰り返し聴いている皆様にはぜひお気をつけいただきたい。

7記事目『街と100円と私』(1$×街歩き)

記事を更新していると当然だが扱えるネタは減っていく。それもそのはず、普段「1$でどう遊ぶか」を意識していないのだから急にはいどうぞと言われて湯水のごとく案が出てくるわけがない。なのでどこかに湯水は湧いていないものかと街に飛び出してみた。

カラーバス効果だろうか、意識すると様々なところで「100円」表記を目にすることができ、意外と100円でできることもある(駐車とか煮卵トッピングとか駐車とか)ことを再認識。同時にお金を使うことだけが遊びではなくて、こうやって何かをきっかけに普段見落としていることに気づく面白さがこの企画の醍醐味だよなと自画自賛したが、あいにく一人で街ブラしていたので誰も同意してくれる人はいなかった

〜後日談〜
この記事でも触れたが「あなたの〜〜」から発せられる圧力に弱い。別に私のものにしたいわけじゃないのに勝手に押し付けてくるこの感じ。子供の頃良く連れて行かれたスーパーで流れていた店内BGMの「あなたの街のコトブキヤ♪」にずっと恐怖を抱いていた幼少期を思い出した。今だにちょっと怖いが、先日地元に帰ったらコトブキヤは別のスーパーに変わっていた。今はどなたの街にあるんだろうか。

さよならの向こう側

ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございます。もうすぐ終わりますので、音楽視聴環境にある方はぜひ山口百恵さんの同曲をBGMに(youtubeなどで各自再生してください)引き続きお付き合いください。

冒頭にもあるように本企画に通底するテーマは「100円でどれだけ遊べるか」で、この期間を常にそれを考え続けた。実際には100円以上使える(財布に入ってる)状況でも、あえて自らで制限をかけることで面白みは増し、普段使わない頭の部分を使っている感覚がした。

この制限は例えば金額に限らず、時間、場所、なんだって思いつく限り当てはめることができる。世の中を面白がれるかどうかはその当てはめるキーワードをいくつ思いつくかによるものだと思っている。これまでの記事が誰かしらにとって、そのキーワードの一つになれば幸いだし、いつかポケットに入っている100円玉を手にとって見たときにこの企画のことを思い出してもらえたらこれ以上嬉しいことはない。それだけでタイトルにした【1$の価値】について言及し続けた意味はあるし、それこそ1$以上の価値がある

最後に、ここまで読んでくださった全国津々浦々の読者の皆様と、今回連載の機会を与えてくださった1$WONDERLANDの皆様に感謝しつつ、ここらで筆を置かせていただきます。

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