見出し画像

私のせいで何かあったら?|2023.12.1

秋がだいぶ深まって、子と一緒にお風呂から出た瞬間のヒヤッとした肌触りに冬の気配さえ感じるようになった。涼しくなるのをあんなに待ち侘びていたのに、こんどは寒さに怯えつつあるなんて、退屈している暇もないな、という感じである。

子は生後10ヵ月を迎えて、相変わらず元気に育ってくれている。ただ一度だけ、大量に吐いてギャアギャアと泣き止まなくなったことがあり、そのときはかなり動揺した。それも金曜日の夜というタイミングで、かかりつけ医に相談できない状況だったので、私はほぼパニックになっていたと思う。

吐いたものでドロドロになったまま子どもを抱きかかえ、「気持ち悪いの、つらいね、うんうん、かわいそうにね、大丈夫だよ」と声をかけて背中をさすりながら、なんとかスマホを操作して東京都の救急電話相談(♯7119)やこども医療電話相談(♯8000)にかけてみたものの、噂に聞いていたとおり混み合っていてつながらず、4、5回かけ直して諦めた。これ以上吐くようならもう夜間救急外来にかけ込むか、救急車を呼んだほうがいいんだろうか、でもこのまま落ち着いてくれれば寝かせて大丈夫なんだろうか、それとも念のため病院に行ったほうがいいのだろうか、いや、でも……、と思考は少しずつズレながらぐるぐる回り、胸はドクドク震えていた。

子どもがだんだんと落ち着きだしてからは、夕飯に食べさせた卵が悪かったのか、いや、でもこれまでは卵を食べても大丈夫だったし、いや、でも今日はいままででいちばん多かったし、ああ、そもそも今朝もちょっと吐いていたな、でも少し吐き戻すくらいはよくあることだし、あ、でもそういえばウンチも出ていなかったな、いや、まぁウンチも1日くらい出ないのは珍しくないし、いや、でも便秘と吐き戻しが重なっていたのだからやっぱり胃腸の調子が悪かったんだ、なぜ気づかず無理させてしまったのか、しかも金曜日の夜に……と、自分を責めたり正当化したりする気持ちが交互に湧き起こって、頭の中にモヤモヤと立ち込めて白くかすんでいくようだった。子どもがスヤスヤと眠ってからもそのモヤは晴れず、翌日もなんだかずっと放心状態だった。
 
そんな私とは対照的に、夫はどういうわけか終始、軽快な様子だった。明るい口調で「わあ、たくさん吐いたねー! でもまぁ見た感じ、消化不良じゃない? 大丈夫だよ」と言い、「さあ拭いて、着替えて」とタオルと着替えを持ってきて、雑巾で床やカーペットを掃除し、「ほらちょっとずつ水飲んで」とちゃきちゃき動いてくれた。いま思えばとてもかいがいしくて頼もしいのはもちろん、恐怖と後悔で凍りついている私を尻目に楽観的でいてくれたおかげで救われた部分もかなりあるのだけど(ほんとに、夫にまで責められていたら不安のあまり救急車を呼んでいたかもしれない)、そのときの私はただ「なんで笑っていられるんだ? こんな状況で……? もう少し心配したらどうなのか……?」と不可解なものを見るような目で夫を見ていたと思う。夫婦ってむずかしいわね。いや、あの時はとても助かりました、ありがとう。

さてその後、子はもう吐くこともなく朝を迎え、少し下痢をしたものの、機嫌よく遊べるくらい元気になった。ただ、体に細かい湿疹がたくさんできていたので、吐いたものでかぶれたのかと思い週明けにかかりつけ医を訪ねると、嘔吐も湿疹もウィルス感染のせいでしょうとのことだった。「かぶれだったら、本人ももっとかゆそうにしているはずだから、これはウィルスですね。名前のつくような病気ではないけれど、こういうこともあります」と言う小児科医をポカンと見つめながら、私はなんだか拍子抜けしたような思いだった。食物アレルギーばかり心配していたけれど、ウィルスのせいだったのか。家の中でも外でもうっかり色々なものを舐めているんだもの、そりゃあ何かに感染してもおかしくない。安心した、というのもおかしな話だけれど、ああ、必ずしも私が防いであげられるものではなかったのだ、と、余分な緊張が解けたような気がした。

子どもの体調不良を目の当たりにして自分があんなにも衝撃を受けたのは少し意外だった。予防接種を受けて子が号泣していても笑って見ていられるくらいには「子は子、私は私」と思っていたから、体調不良のときにもそれなりに冷静でいられるかと思っていたのだ。でも、予防接種にはない要素ーー「想定外」と「私のせいかも」の二つが合わせて襲ってきたときの焦りはこれまでに感じたことがないものだった。一緒にいる時間の長さからして実質的に子のケアの主導権をもっている私にとって、子の不調は私の失敗とあまりにも直結していて、その重みに耐えきれなかったということなんだろうか。いや、耐えるために、心ここに在らずの状態に逃避していた、と言ってもいいかもしれない。

子に危険が及ぶ可能性は私のせいじゃなくても、誰のせいでも、むしろ誰のせいでもなくてもいくらでもあるし、もしも私のあずかり知らないところで実際に何か重大なことがあったとしても心臓が潰れるような思いをするんだろう。そう考えてみても、あの時と同じような恐怖は湧いてこない。まるで現実味がないのだ。怖すぎることに対する想像力は自動的に断ち切られているのかもしれない(そのおかげで安穏として保育園に預ける準備をしていられるのだろう)。反対に、私のせいで子が危険な目に遭うというのはあまりにも容易に想像できて、毎日ことあるごとにその可能性を感じているのだから避けようがないのだろう。

私のせいで子に何かあったら、いったいどうやって生きていったらいいのか? ……………寒気がするような問いだけれど、この問いへの答えは、本当はずいぶん前から知っている、とふと思った。いつだったか、母から聞いた曽祖母の何番めかの娘の話だ。3歳だったその子は、落ちていた生梅を食べたのがもとで体調を崩して亡くなった。曽祖母はその子の墓の前で、雨の日も晴れの日も泣いて過ごしていたけれど、ある日、姑が見かねて「いつまでも泣いていてどうする! 家の仕事をしなさい! 子はまた産めばいい!」と一喝したので、仕方なく泣くのをやめたのだという。「また産めばいい」に関しては無慈悲にもほどがあるけれど、曽祖母は実際に十人前後(母から何度聞いても正確な数を忘れてしまう)子どもを持ったのでまぁ割り引いて考えてもいいかなと思う。それはさておき、そんなつらい目に遭いながらも健気に生き抜いた人がいたということ、そしてその息子の、娘の、娘が私であるということは、私が子どもを育てるにあたって、なんて悲しい、悲しくも強く心を支えてくれる記憶なのだろうと思う。

さて、我が子が体調を崩したのはその1回くらいで、あとはいたって元気に過ごしてくれている。最近は公園でブランコに乗るのがお気に入りのようで、揺らした瞬間にキャタキャタ笑い、どんどん高く揺らすほどにギャハハハーと喜ぶ。足をばたつかせたり、首を横にブンブン振ったりしながらずいぶん長い間乗っている。たいてい私のほうが先に飽きて、抱き上げようとすると持ち手の鎖を力いっぱいギュッとつかんで離さない。無理やり引き剥がすとジタバタと暴れて悔しがる。そんなふうにしたあとは「ベビーカーには意地でも乗らない」と海老反りになって抵抗し、仕方なく抱っこしても私の腰に足をかけて立ち上がり、肩によじ登って身を乗り出し、ブランコへの未練を全身で表している。もう立派な暴れん坊である。

内心で「ああもう!」と天を仰ぐことさえある闘いの日々だけれど、大変さも含めてうれしさで胸いっぱいの日々でもある。

それではみなさんも、お体を大切に!
ぜひ温かいお茶とか、お湯を飲みましょう。

この記事が参加している募集

育児日記

いただいたサポートはよりよく生きるために使います。お互いにがんばりましょう。