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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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不定期で歴史に関する小話を配信しています。スマホからでもパソコンからでもお気軽にお読み頂けます。過去分も是非ご覧ください。
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#江戸時代

#0195【生類憐みの令が目指したものとは何か(徳川綱吉③)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は、徳川幕府の歴代将軍の中でインパクトの強い「生類憐みの令」を出した徳川綱吉を全三回に亘って紹介してきました。その最終回です。 (前回:No.194【ワンマンになるには仕掛けが必要さ(徳川綱吉②)】) 側用人というシステムを導入することにより、老中たちの言いなり人形から解放された徳川綱吉は独自の政策を進めていきます。 綱吉が将軍となったのは1680年。1615年の大坂の陣以降も1637年に島原の乱や1651年の由井正雪

#0194【ワンマンになるには仕掛けが必要さ(徳川綱吉②)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は、徳川幕府の歴代将軍の中でインパクトの強い「生類憐みの令」を出した徳川綱吉を全三回に亘って紹介します。第二回です。 (前回:No.193【あくまでも中継ぎとしてのトップの座(徳川綱吉①)】) 中継ぎ、ピンチヒッターとして将軍に就任した徳川綱吉ですが、彼は自分の理想の政治を実施したいとの思いを持っていました。 将軍になる前には館林一帯の大名でした。 また、学問への造詣も深く、特に儒学の教えについては自ら講義を行うまで

#0193【あくまでも中継ぎとしてのトップの座(徳川綱吉①)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は、徳川幕府の歴代将軍の中でインパクトの強い「生類憐みの令」を出した徳川綱吉を全三回に亘って紹介していきたいと思います。 家康以降に将軍には以下の順序で就任していきます。 家康の息子:徳川秀忠(二代将軍) 秀忠の息子:徳川家光(三代将軍) 家光の息子:徳川家綱(四代将軍) 徳川家綱は跡を継ぐ男子不在のままでこの世を去ります。 そこで将軍に就任したのが徳川綱吉です。 彼も家光の息子であり、家綱の弟にあたります。 家光には

#0171【黄門様も若い頃はヤンチャでした(徳川光圀)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。江戸時代初期の名君特集、最後は水戸黄門として有名な徳川光圀(みつくに)を紹介します。 徳川光圀は、徳川御三家(名古屋・和歌山・水戸)の一つ水戸藩の藩祖徳川頼房(家康の十一男)の三男に生まれます。 正妻を迎える前に頼房は、若くして次々と子どもを儲けました。 光圀の二人の兄のうち、一人は幼児でなくなっていました。もう一人の兄は庶子(家督相続権のない子ども)として届け出がされる一方、光圀に対しては、妊娠発覚時になんと、「堕胎せよ」

#0170【江戸時代の財政再建と教育改革(池田光政)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。江戸時代の名君特集。第二回は池田光政を紹介します。 池田光政は1609年に生まれ、1682年に死去する江戸時代初期を駆け抜けた人物です。 光政の祖父は、池田輝政といい姫路城を現代に残る形に大規模改築しました。また、池田輝政の後妻は徳川家康の実娘だったことから、徳川幕府からも池田家は一目を置かれていました。 光政の父は、輝政の前妻の息子であったため、徳川家康と血の繋がりはありません。また、光政の母は徳川秀忠(家康の息子、二代将

#0169【見栄を張らずに(保科正之)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週は江戸時代の名君特集です。 江戸時代は、日本の歴史上屈指の平和な時代でした。日本国内での戦争はなく、海外からもパックス・トクガワーナと称賛される時代でした。 江戸時代の地方政治は、「藩(はん)」という地方を治める組織と徳川幕府の直轄地(大坂や佐渡金山、日光など)に分かれていました。 藩は、大名ともよばれる藩主とその家臣たちによって統治され、幕府(中央政府)から派遣された代官(武士)によって統治されていました。 今回紹介

#0159【歴史を学び、戦国を終わらす(徳川家康②、天下人)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は、日本の戦国の三英傑を再度取り上げていますが、最後は徳川家康です。 <2017年に取り上げた際の小話> #0009【徳川家康】https://goo.gl/fRGw5B 前回は家康の人生を駆け足で紹介した内容になりました。今回は彼の人となりに注目したいと思います。 筆者は、徳川家康の行動には「再現性」があると考えており、人生の手本としています。 他の三英傑、信長と秀吉は天才型です。誰かから学んだというよりも自ら実戦