#0016【マンスール(中東、8世紀中盤)】
こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週はイスラム偉人特集です。
月:マンスール(アッバース朝)
水:サラディン(アイユーブ朝)
金:スレイマン一世(オスマン・トルコ)
マンスールの説明に入る前に簡単にイスラム教の歴史について説明します。
まずイスラム教は610年に神の言葉を天使から受け取ったムハンマドによって布教が開始され、幾多の迫害を乗り越えて632年のムハンマドの死までの間にアラビア半島全域に勢力を張ることになります。
彼の死後は、信者の中から選挙で「カリフ」という名称の指導者が選ばれました。選挙でカリフが選ばれていた期間を正統カリフ時代(632年~661年)と言います。
しかし全員が納得する選挙結果が続かず、ウマイヤ家が軍事力と経済力を背景にカリフの地位を得ます。以降カリフはウマイヤ家の世襲となり、ウマイヤ朝(661年~750年)が成立しました。
ウマイヤ朝は、今のシリアにあるダマスカスを中心に、アラブ人至上主義を取ってイスラム教は勢力を広げていきます。北アフリカを横断し、遂にイベリア半島までを征服します。
ピレネー山脈を越えて現フランス領まで攻め込みますが、そこでは敗北を喫したため、イスラム教の伝播は一旦、落ち着きました。
ウマイヤ朝の意気は高まる一方でしたが、弱点もありました。
イスラム教徒であれば、人種・民族に関わらず平等であるとイスラムの聖典コーランでは説かれています。しかし、ウマイヤ朝は、アラブ系イスラム教徒と非アラブ系イスラム教徒に差をつけた政治体制を敷いていたのです。
非アラブ系イスラム教徒の不満が高まる中、その力を糾合したアッバース朝にウマイヤ朝は倒されてしまいました。以降カリフの地位はアッバース朝に移ります。
マンスールはこのアッバース朝(750年~1258年)の2代目カリフです。
2代目ではありますが、初代だった兄が僅か4年で死去したため、実質的には創始者といえる人物です。
彼は、カリフの地位を神から与えられたものであると定義づけ、自身の権威を高めるとともに、現イラクのバクダードに円形の城壁を築き、大きな都を建設しました。
ちなみにアラビアン・ナイトは、このマンスールが築いたバクダードで語られたという形を取っています。
便利なランプの精はいませんが、マンスールは各地に監査役を派遣し、役人が不正を犯すことのないようにしっかりと情報収集に励み、ペルシャ(現イラン)の統治機構を真似て、中央集権的な政治体制を整えました。
また、無駄なお金は遣わず、学者との交流を楽しみにする教養のある人物でした。そして、イスラム教徒であれば同一に取り扱うよう税制を整えるなどの功績が残っています。
ウマイヤ朝で残っていたイスラム教徒間での差別をアッバース朝はなくしました。この結果、マンスールが構築した政権下においてはイスラムの教えに従った政治体制が整いました。
自分自身も敬虔なイスラム教徒であったマンスールは、メッカ(イスラムの聖地)への巡礼の途中に61歳で最期を迎えました。
以上、本日の歴史小話でした!
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