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#0099【古代エジプト最後の輝き(古代エジプト)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

ヒクソスに占拠されて約150年が経過したBC1580年頃、古代エジプト人はヒクソスを追放して独立を勝ち取りました。古代エジプト第18王朝のアフメス1世によるものです。

アフメス1世はヒクソスの強みであった戦車隊を真似てエジプト軍を強化し、テーベ市の神であるアモン神のもとに民衆を結集させました。

ヒクソスの追放に成功したものの、アモン神の権威がファラオよりも高くなり、神官がファラオより権威を持つ事態となります。

第18王朝三代目のトトメス1世(在位BC1524年~BC1518年orBC1506年~BC1493年)の時代には、北は現シリアまで進出し、南はナイル川上流の金の産出地であるヌビアを押さえることに成功します。

その後もファラオたちは戦争に勝ち進みますが、そのたびに莫大な財宝がアモン神の神殿に積みあがるようになり、神官たちは権威に加えて経済力も手にするようになります。

これに不満を思ったアメンホテプ4世(在位BC1377年~BC1358年)はアモン神の影響力を排除すべく、都をテーベ市から遷都し、アモン神の代わりにアトン(日輪)を崇拝するようになります。

アメンホテプ4世は、名前もイクナトン(アトンを拝むもの)と改名します。このイクナトンの妻にネフェルティティという人がいますが、その胸像はベルリン国立博物館に展示されています。とても写実的なもので、他の古代エジプト彫刻とは一線を画したものです。

イクナトンの宗教改革は、彼の死とともに終わりを告げます。
テーベのアモン神を奉ずる神官たちは、権力を奪い返し、イクナトンの跡継ぎとして、まだ10歳の養子である子どもをファラオにします。

この傀儡ファラオの名をツタンカーメンといい、彼のミイラにつけられていた黄金のマスクのおかげで、ツタンカーメンは現代でも非常に有名です。
古代エジプトのファラオの墓はほとんど盗掘にあっており、埋葬品が残っていないため20世紀初頭に発見されたツタンカーメンの墓は世紀の大発見でした。

ツタンカーメンがわずか18歳で世を去ると、神官だった人物がファラオの地位につきますが、アモン神を祭るだけで戦争には負け続けてしまいます。

この事態を打開し、古代オリエントにおいてエジプトを再び強国にしていこうと軍人が力を持ち、ファラオの地位を神官から奪い返します。

第19王朝が誕生し、軍国主義時代を古代エジプトは歩みます。
この第19王朝は、ラムセス2世の時代(在位BC1301年~BC1234年)にNo.75で取り上げたヒッタイト王国とシリアの覇権をめぐって争います。

最終的には、世界最古の国際条約を結んで講和しました。
ちなみに、ラムセス2世は138人の子どもを儲けたことでも有名です。

古代エジプト王国が古代オリエント世界で中心を演じたのは、このラムセス2世の時代まででした。

こののちは、地中海東岸で勢力を誇った謎の民族「海の民」の侵略やリビア人の支配を受けたり、メソポタミア地方から興隆したアッシリアに圧迫されていき、輝きを失ってしまいます。

以上、今週の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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