#0084【バベルの塔(キリスト教旧約聖書、創世記)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週の旧約聖書の物語は「バベルの塔」で締めます。<>括弧内が聖書からの引用です。
(前回:No.083【ノアの箱舟(キリスト教旧約聖書、創世記)】)
<大洪水のあと、ノアの一族は繁栄し再び地上は人間で溢れていきます。
このとき、世界中は同じ言葉を使って、同じように話していました。東の方から移動してきた人々がシンアルの地に平野を見つけたので、そこに住み着きます。石の代わりにレンガを、しっくいの代わりにアスファルトを用いて
「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう。」
神はこの塔のある町を見て、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことを始めたのだ。彼らの企てを妨げるためには彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉聞き分けられぬようにしてしまおう。」と考え、実行しました。
結果、人間は全地に散らされて町の建設をやめました。こういうわけでこの町の名は「バベル(混乱:バラル)」と呼ばれました。>
ちなみに神は「バベルの塔」を破壊はしていません。建設をストップさせるために介入しました。
さて、この寓意のなすところは、人間の自分たちの力・能力への過信・傲慢を戒めるものです。
1.計画(レンガとアスファルトを利用)
2.実行(計画に基づけば天まで届く塔も作れる)
3.団結(その塔のある町が有名になれば、人間が全地に散らずに団結できる)
特にこの「団結」を、神に頼らずに成し遂げようとしていることを戒める寓意であると解釈します。
神がいなくとも「天まで届く塔:シンボル:偶像」があれば人間は団結ができるという考えを戒めているのです。
言葉を混乱させることで人間が二度と人間たちだけで団結しようとすることを妨げ、神の名においてのみ人間は団結できるように仕向けたのです。唯一神教の神は、なんと嫉妬深いのでしょう。「ボクを無視しないでよ」という声が聞こえてきそうです。
ただ一方で、実際に言語が違わなくとも、同じ日本語でも世代が違えば使う言葉が混乱してしまい、団結を阻害する要因となります。
たとえば、「穿った見方(うがったみかた)」という表現です。
この「穿った」の意味は「天を穿つ:天にあなを開ける」のうがつと同意義で「穿った見方:斬新な見解」という意味が元々の意味です。これを「穿った見方:斜に構えたものの見方」という意味で使われることが多くなってきています。
同じ言葉を使っていても、使っている意図が違えば誤解が生じます。
このように人間が使う言葉というものは普遍的ではなく、時代や状況によって同じ言語・単語であっても混乱が生じます。
そこで、人間同士は完全な相互理解はできず、相互理解のためには仲介者が必要であり、それが「神」であるというのが宗教の立場なのです。
ただ、言葉が統一されていなくとも、お互いが信じる神が違うことが争いに繋がる悲しい現実があります。
以上、今週の歴史小話でした!
(続き:No.112【「現状維持への戒め」と「決断の重要性」(旧約聖書:アブラムの召命と移住)】)
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