#0005【卑弥呼(日本、3世紀前半)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

古代帝王特集の第2弾は日本から卑弥呼(ひみこ)女王に登場して頂きます。

「卑弥呼が帝王?」ちょっとイメージが違う方もいると思います。複数の領主を従えたと思われる記録が残っている最古参の日本人なので、帝王枠で登場してもらいました。

この卑弥呼ですが、日本の記録には出てきません。中国の歴史書に出てきます。

時系列としての初出は、後漢書東夷伝の記述です。

2世紀後半(146年~189年)日本国内が混乱していたところ、「卑弥呼」が神の言葉を伝達する巫女として振る舞い、女王として多くの領主を従えました。彼女が君臨していた国の名前は「女王国」と記されています。後漢書東夷伝の別の箇所に「邪馬台国」の文字はありますが、女王国との関係は明確ではありません。

次に出てくるのは、魏志倭人伝(これも中国の歴史書)です。

238年(※)に「邪馬台国」の卑弥呼から使者が魏の国に訪れ、「親魏倭王の金印」と「銅鏡100枚」を受け取ったと記載されています(※梁書では239年と記載)。

後漢書東夷伝と魏志倭人伝、それぞれに「卑弥呼」が出てきますが、同一人物なのか、それとも役職名(ひみこ=日の巫女=太陽の巫女?)なのか、はっきりしません。年代としてはギリギリ同一人物の可能性もありえます。

いずれにしろ、2世紀後半から3世紀前半にかけて、神の言葉を受けた巫女が女王として多くの領主を従えている姿が記録されているのです。

どちらの卑弥呼も巫女・シャーマンとして生涯結婚せずに国を統治していました。

邪馬台国の卑弥呼が死去すると、男性の王様が跡を継ぎましたが、うまく統治が出来ません。結局、卑弥呼の一族から、巫女である台与(とよ)が女王となり、国が治まったとの記述で魏志倭人伝は終わっています。

さて、この邪馬台国ですが、どこにあったかは日本考古学において最大のイシューになっています。

主に九州説と畿内説の二つに分かれます。魏志倭人伝には朝鮮半島から邪馬台国までの旅程が書かれているものの、距離が誇張されているのか、実際の場所がよく分かっていないのです。素直に旅程にしたがって進むと日本列島の枠からはみ出てしまいます。

江戸時代から論争があり、現代においても決着がついていません。特に20世紀前半には、東大白鳥庫吉博士が九州説、京大内藤湖南博士が畿内説を主張して激しい論争を繰り広げました。しかし、どちらの説も決め手を欠いた状態のまま、21世紀を迎えました。

僕は、当時の航海事情を考えると朝鮮半島に近い九州にあり、その後、邪馬台国が東に移動して大和朝廷になっていったのではないかと思っています。

歴史学者や考古学者たちの今後の活躍に注目です。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)

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