#0047【雍正帝(中国、18世紀前半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今日は康熙帝の次の清の皇帝「雍正帝(ようせいてい)」です。

彼の治世は1722年から1735年までの13年でした。康熙帝が61年、次の乾隆帝(けんりゅうてい)が60年の治世を誇ったことに比べると短い期間です。しかし、この間に雍正帝は多くの政治的実績・業績を上げています。

まず、征服者である遊牧民の満州族は、被征服民の漢民族に対して締め付けを行います。

中国では古くから「科挙」という試験を行って官僚を漢民族から登用していました。その出題で詩経という中国古典から「維民処止(これ民のとどまるところ)」という文言が使われました。

この中の「維」と「止」の文字が「雍正」の上の部分を除いた文字であること、更に間に「民処」の文字が挿入されていることから、この出題は雍正帝を呪ったものであると認定されました。

漢民族出身の出題者は投獄され、拷問の末に殺されてしまいます。遺体は市中に晒され、出題者の息子も死刑になりました。これは「文字(もんじ)の獄」といい、為政者に対して文章を使った呪詛を行ったとして処罰を加えるもので、中国ではしばしば同様の事件が起きています。

ちなみに日本でも豊臣家が方広寺に奉納した鐘に刻まれた「国家安康」という文言が、徳川「家康」の名前を分断した呪いの言葉とされて、徳川家から豊臣家への攻撃理由に利用された例があります。

次に税制改革を行います。付加税の定額化、人頭税の土地税への編入を行い、シンプルな税制を導入することで民心と国家財政の安定を確立していきます。

短い治世ではありましたが、先代の康熙帝の業績を受け継いで発展させ、次の乾隆帝の時代に大きく中華世界が広がる基盤を作った雍正帝は名君の一人に数えることができます。

政治的な面にとどまらず、彼は『大義覚迷録』という書物を作って、北方遊牧民である満州民族による中国支配の正当性を否定する漢民族の知識人たちに反論するなど、支配の正当性に関する思想的な整備を進めました。

この書物の中で、文明人と野蛮人とを分けるものは「普遍的な道理を身につけているかどうか」であると主張します。

文明人としての条件を、居住地域や農耕民族であることに限定されないとしたこの考えは、乾隆帝の時代に極大化していく清帝国の領域全体を中華世界とすることに繋がっていきます。

こうした「思想的な整備」と次の乾隆帝時代に「拡張された領域」が現代の中華人民共和国へと引き継がれていることも雍正帝の重要な業績の一つであると考えています。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)

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