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西国疾走少女 4

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 夜の駅に立っていても、桐原はくっきりと際立ってうつくしかった。二学期のあいだに、桐原はさらに背が伸びたようだ。会えた瞬間、家を抜け出すときの緊張が吹っ飛んだ。

「さむいね」とわたしは肩で息をしながら笑った。夜に会うのがはじめてで、照れくさかった。

「なんでそんな薄着で来たの」笑いながら言って、桐原は着ていたジャンパーを脱いだ。トレーナーのそでがめくれて、腕時計が見えた。黒くてごつごつした、重そうな時計。

 着せてもらったジャンパーは、軽くて温かかった。ほんのり香水のような匂いがした。胸のところに、桐原の好きな、外国のバスケットボールチームの赤いロゴが入っている。目的もなく、ならんで歩いて、笑って、桐原の顔を見上げた。桐原はめずらしくよくしゃべった。アメリカのラップが好きでよく聴いているという。わたしも聴いてみたいなと言うと「いいよ」と進行方向を変えた。

 桐原の家は大きな二階建てで、車庫があって、白い高級そうな車がとめてあった。玄関の外に灯りがともっていたが、室内は真っ暗だった。道路をはさんだ向かいにちいさな公園がある。わたしはそこに入り、ブランコをこぎながら桐原を待った。

 三分ほどで出てきた桐原は黒いパーカーを着て、手に袋を持っている。わたしたちはまた歩いて、西国分寺駅まで戻った。自動販売機の前で桐原は止まり、缶入りコーンスープを買った。がこんと落ちてきたそれを取ると、よく振ってからプルトップを開けて差し出してくる。わたしたちはガードレールに座って、それを交代でのんだ。立ちのぼる湯気で桐原のメガネがくもった。ふたりの笑い声が夜に吸い込まれた。オリオン座が移動するくらい長い時間、そこにいた。

 袋の中にはCDのほかに、グレーの布袋が入っていた。あけてみるとチョーカーだった。真ん中にちいさな星がひとつ、光っている。誕生日、合ってる? と桐原は訊いた。胸が詰まってすぐには言葉が出なかった。我が家では誰かの誕生日を祝う習慣などなかった。プレゼントというものをもらったのは、それが生まれてはじめてだった。クリスマスもひな祭りもない。そういうものだと思っていた。もったいないから、帰ってつける。声を絞り出すようにして言うと、桐原はうれしそうに笑って横顔でうなずいた。

「いま何時?」

「もうすぐ十一時。帰る?」

「うん。帰りたくはないけど」言ったらかなしみが増幅した。

 桐原はしばらく何か考えるように黙ってから、右手の指を自分の左手首にあてた。慣れた手つきで時計をはずすと「今度会うときまで持っててよ」と言った。

 時計はやっぱり重かった。重みがしあわせだった。家まで送ってくれた帰り道、街灯に照らされた桐原は紛れもなくわたしの光だった。部屋に戻るとまずチョーカーを首にはめた。窓に映して眺める。ゆるむ頬を止められなかった。手首に桐原の時計、耳からは桐原の好きな音楽が流れてくる。ジャンパーを毛布代わりにして、わたしはねむった。信じられないような幸福の中で。

5に続く

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