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1年7ヶ月経って、気づいたこと。

上司のパワハラが原因で仕事を辞めてから、約1年7ヶ月が経った。

正直、「上司のパワハラが原因で」と考えること、そしてそれを書きだして、公開することを、

自分でも「本当にそうなの?そんな風に考えちゃっていいの?」と思う。


「受け取り手(パワハラを受けた人)の感じ方次第な部分があるかもしれないよ」と思う自分がいるのも事実だし、

そうやって言い切ってしまうことが、とても暴力的だし、危うい感じがするから、嫌だなとも思っているし、今までずっとそういう感覚だったので、あまり考えないようにして来たのも事実だ。

ただ、今回は、そうやって「かなり大袈裟に聞こえるかもしれない」と思いながらも、敢えて、この言葉を選んで記事を書いてみようと思っている。

その理由はタイトルの通り、昨日気づいたことがあったからだ。



気づいたきっかけは、別に大したことではない。

久しぶりに、仕事で初対面の人を交えたミーティングに参加して、発言をして、「あ〜世の中にはこんな平和なミーティングがあったんだよな」と思ったというだけだ。


ミーティングなんて、今まで働きながらずっと経験してきたことなので、「なぜ今わざわざそんなこと語るの?」と、自分でも思っている。

(ちなみにちょっとややこしいのだけれど、わたしは何度か転職をしていて、詳細はすでに何度か書いたことがあるので、ここでは割愛させていただきます。)


話を戻すと、パワハラを受けた経験を通して、そのいわゆる"ミーティング"が、自分にとって、それ以降どうやらとても恐ろしいものになってしまっていて、
トラウマ的なものになっていたのかもしれないと、昨日、気づいたという話なのだ。

補足すると、わたしは今、働いていて、初対面の人とも毎日のように出会って、話をしている。

「パワハラが〜」とか、もはや1ミリも考えないし、暮らしの中で、他に何か不便がある訳でもない。

そして、"トラウマ"についてあまり詳しくは知らなくて、そうであると診断された訳ではない。

ましてや、自分にそういう部分があると、昨日まで考えたことも無かった。

そしてあくまで、「トラウマってこんな感じなのかなと思った」という話であって、

被害者面をして、可哀想と思って欲しい訳ではなく、

たとえば、

人と接するのが怖くなっている人が身近に現れたときに、

その人はそれなりに「結構なダメージを過去に受けたのかも知れない」と、

そんな風に思ってくれる人が少しでも増えたらいいな、

というか偉そうに言ってるけど自分が気づいてなかった訳だから、その自戒を込めて、忘れないために書いている。




毎回、先輩も自分も

何を言っても基本的に否定される

準備をして臨んでも

思いもよらない指摘を受けて責められる



たぶんこの経験は異常だった。



と頭では分かっている


けれど、


どこかでそれを忘れられない自分が、残ってしまうことが、あるのかも知れない。


そして、それを克服するためには、同じことをしながらも、違う人たちと一緒に、大丈夫と思える経験を積み重ねられたら、いいのかも知れない。





そしてわたしは昨日、ひとつ、大丈夫と思えて、



それをとてもありがたいと思っている。



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