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"ありがたみ"の感度が上がった「五島への旅」。

昨年末に、五島列島の福江島へ行きました。

すてきな場所だったので、
旅の最中から書きたいことが溢れて、
逆に何から書けばいいのか分からなくなってしまい、
悶々としたまま数ヶ月が経っていました。

けれど、数ヶ月経っても、心に残っているものを記録に残したいと思いつづけていたので、
一念発起し、この記事を書いています。

もし良かったら読んでいってください。


島だから感じる、日常への「ありがたみ」。


五島旅で最も印象深かったのは、
タイトルにしているとおり「ありがたみ」をひしひしと感じたこと、かもしれない。

想像の遥か上をいく大自然にはもちろん大感動。

お料理も美味しかった。

けれど、わたしにとって五島の旅はそれだけではなかった。


島に来た

それをずっと意識していたからだと思うが、
「いいなぁ〜ありがたいなあ〜」と、ひたすら感じていた。


五島を訪れたのは12月中旬。

旅の目的は、主に以下のとおり

・移住者が増えている今の五島を自分の目で見てみたい。

・大人になってひさしぶりに五島に行ったらなにを感じるのか知りたい。(父の仕事の関係で、2歳から3歳にかけて住んでいた。)

・曾祖母の生家周辺を探索してみたい。


行きのフェリーの座席と、
数日の宿とレンタカーだけを確保し、

帰る日は未定、
行くところはその時次第の、とても気楽な旅だった。

スケジュールはなかったが、
ありがたいことに「ちょうど地元の産業市があっているからのぞいてみたら」と宿泊先の方に教えていただいたお陰で、

「とみえ産業市」を訪れることが出来た。

地元の人による、地元の人のための、とみえ産業市。

会場の富江港緑地公園

凍える真冬の、雨のパラつく空の下だったが、

たくさんの人で賑わっていた。

みなさん家族連れでお越しの様子で、

観光客はどうやらわたしだけ。

地元のお店、地元の食材、地元の人たち。

土地の恵みをみんなで分け合っている。

とてもシンプルだけれど、きっと難しい。

これこそ平和の形の頂点なのかも!

なんて大袈裟なことを思いながら興奮していると、

「抽選の発表はいつかな」とおじいさんが誰かに質問しているのが聞こえてきた。


声のする方を見てみると、周りの人はどうやら答えられず困っている。

普段、勇気を出して人付き合いをしている自分とは思えないような行動力で、

気づけば「わたしが確認してきます!」と
名乗り出ていた。


本部に直行し、スタッフの方に抽選会のことを確認。
お爺さんに詳細を説明した。

(話たいことから少々脱線していますが、懐かしいので書かせてください。)

その後、おそばを食べ、ブラスバンドの演奏をアンコールまで聴き終えて、

「あのおじいさん抽選の結果確認できたかな」と気になっていたので、

おじいさんを探し出す。

まだ確認していないとの返答。

これは最後まで責任を持たなければ!と

湧き上がる謎の使命感と葛藤することは早々に諦め、

一緒に、抽選結果を確認しに行った。

おじいさんの番号を当選者一覧に発見した。

「当たってますよ!もらいに行きましょ!」と
配布場所までおじいさんを送り届けた。


ということがあった。


普段のわたしなら、ここまでのことはしないと思う。

けれど
ここが五島だから、
富江だから、
だったのかもなしれないと振り返ってみて、
思う。

五島の何がわたしをそうさせたのか、はっきりとは分からないが、

他の誰かがやってくれるだろう

という気持ちを乗り越えさせる何かがあった。


それは、この町で積み重なっていた

おじいさんに産業市を楽しんでほしい

このおそば屋さんはこの地域にひとつだけ

このおばあさんの作った干物はここでしか買えない

この子たちのこの演奏は、この時だけのもの

この子供向けお魚掴み取り放題は、この地域の漁業を支えている人たちがいるお陰でできている、、

というような、

島の恵みを感じ続けた結果、なのかもしれない。


曽祖母の故郷「みいらく」を訪ねて。

旅の目的の一つであった「曽祖母の故郷を訪れる」ことも出来た。


曽祖母は、101歳まで生きた。

孫や曾孫たちから慕われた人だった。


曽祖母の故郷を歩きながら、いろんなことを思う。

こんな綺麗なうみを見て育ったんだな。

こういう場所で育ったから、あんな風に立派な人になったのかな。

小さいころ、ここで泳いだのかな。

ここがこの町のメインストリートだったのかな。


ひとしきり曽祖母へ思いを巡らせながら歩き回ったあと、
お腹が空いたので、「五島うどん」とのぼりのある小さな食堂に入った。

店内には、地元のおじさま方がたくさん。
どうやら仕事の休憩中の様子。

少し緊張したが、全く緊張していないフリを一生懸命して、
黙々と、おいしい五島うどんをいただく。

すると、おじさま方のお話し声が聞こえてきた。

「あ、この話し方、ひいばあちゃんと一緒だ。」

思わぬことで、

懐かしくてたまらなくなった。

まさか、地元の人の話し方が曽祖母と同じで、
そこから新たな思い出が呼び起こされるとは、
全く期待していなかったことだった。

そうだ、ひいばあちゃんはこんな風に話す人だった。

ここに来て良かった。




五島の魅力を伝えたいのか、自分の旅の記録を伝えたいのか分からなくなってきましたが、
このまま書いちゃいますよ。



地域への愛を具現化した宿「TA BI TO」さん。

五島滞在中は、ずっとTA BI TOさんにお世話になっていた。

たくさん感動ポイントはあったが、

富江だけにスポットライトを当てて発行されていた冊子、

これがわたしの宝物のひとつになっているのでここで触れさせていただく。

こうして机の上に置かれていた。

いまだに、家のすぐ手の届くところに置いてある。

この冊子が、とても良いのだ。

富江への愛がビシビシ伝わってくるし、
すごい完成度で、とても見やすく、
見ていて惚れ惚れする。

当時のわたしは「たくさん持って帰ってみんなに配って回りたい!」と感動していた。


TABITOさんで過ごして良かったことでもう一つどうしても書いておきたいことがある。

ここのキッチンがとても良いということ。


宿にいる間、ここで過ごす時間が1番長かったかもしれない。

地元のお店で食材を買って、ここのキッチンで料理して、食べる。

すこしだけ、その土地に暮らしているのを体験できている気がして、
すてきなキッチンがあるゲストハウスの良さというものを実感させていただいた。

今後も旅先では、できれば、地元のお店で買い物をして、料理をしたい。

心温まるおもてなしの「玉昇」さん。


先述の、TABITOさんが作成されていた冊子に載っていたお店を何件か訪れたうちの一つ、玉昇さん。

訪ねてみると、「寒かったでしょ、あったかいストーブの近くにお座りください。」とすてきな笑顔で迎えていただいた。

見るからにお掃除の行き届いた店内で、
とにかく居心地がよかった。

使い込まれた道具たちも、現役で、
きれいに磨かれ、活躍していた。


そしてなによりお寿司が美味しかった。

「ご旅行ですか」と軽く声をかけてくださるが、

食事中などは、集中させていただけるお店だった。

配膳なども、とても気持ちが良い。

帰り際に、お母様と奥様と大将さんとみなさんすてきな笑顔で見送ってくださった。

また絶対に行きたいお店になった。


富江地域にはそんなにたくさん、料理屋さんはない。

けれど、地元の人たちに愛され、地元を愛しているお店は、しっかり存在していて、
特別な場所になっているのだと
感じた経験だった。

さいごに

五島の魅力を伝えられたらと書き出したnoteでしたが、どうしてなかなか、これは難しいですね。

ここまで読んでくださった方には、頭が上がりません。
下手くそな文ですみませんでした。

五島の素晴らしい自然の写真だけでも、さいごに見ていってください。

最近は、すこしずつ働き出して、
他愛のないことを好きなように記事にしてたのしんでいますが、

今までの記事について、頂くお言葉のひとつひとつ、わたしの新たな原動力になっています。
ありがとうございます。

いち素人の他愛のない記事で、大袈裟かもしれませんが、

コメントやスキをくださり、記事をご覧いただいたみなさん、

いつも、ありがとうございます。

それではまた。

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