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そこにある場所

わたしはどう言うわけか、軽い会話が苦手だ。
例えば、久しぶりにあって「元気にしてた?」と聞かれると固まってしまう。
「元気です」と言えばそれで良いものを、元気ってどう言う状態たったろうか、と考え込んでしまう。
例えば映画を見て「よかった?」と聞かれても、同じことだ。良いと良くないの割合について考え込んでしまう。
履歴書にある短所の欄もそうだ。わたしは依存心が強く、些細なことで不安になってしまい、そうなると心臓が言うことを効かなくなり、うまく呼吸できなくなります。などという本当のウィークポイントをつらつらと書いてしまったことがある。36年も生きていると流石にそんな失態はしなくなったものの、人の質問に軽く答えることは未だに苦手だ。

そんなわたしが、毎日気軽に通える場所があった。
毎日そこに行けばその場所がある。約束をしなくても会える人がいると言うことはわたしに大きな安心感を与えてくれた。
ただ挨拶をするだけの日もあれば、こういう作品が作りたい、と相談することもある。親身にアドバイスしてくれるだけでなく、実際に実現するところまで手伝ってくれたり、わたしのしょうもない話をいつも笑って聞いてくれたり、そこに居る3人が代わる代わる、いつもそこに居ることで、いつ訪れてもその場所はわたしのオアシスであった。

たいてい、人に会うにはまず連絡をするだろう。連絡をして、日時を約束して、人に会う。その手順がいらないのは、家庭だろうか。
家に帰ると大切な人がいる場所、というものは大きな安心感を与えてくれる。

わたしは小さい頃、夜眠れない子供だった。
そういう時は、寂しい気持ちが膨んで、誰かに起きていて欲しいと思っていた。お母さんを起こそうとしては怒鳴られ、テレビを見ていてもやがて放送が終わってしまう。
そういう時にオリンピックがあった。どの大会だったかは覚えていないけれど、それは深夜から朝方にかけて生放送されていて、起きている人がどこかにいる、ということが目に見えたことが、わたしには心強かった。
高校生になってからそれはBSで放送されるベースボールの生中継になった。テニスの全米オープンだったりすることもあった。
馬鹿みたいな話だけれど、眠れない夜に、今ブラジルは昼で、みんな起きているんだと思うことがわたしに安心感を与えていた。

わたしが毎日「碗琴道」を同じ時間に行いたい、と思ったことには、そんな由来がある。
わたしは毎日一人で食事をすることが多い。それを寂しいと思うことは今はもうほとんどないけれど、そう思いながら一人で食事をしている人ももしかしたら居るかもしれない。
「碗琴道」において、器から放たれる「音粒」は空気を伝い、その音を共有し、一緒に食事をするイメージで行っている。
敷布は十字のような形に裁断してあり、真一文字の横長の部分に器を並べ、手前の部分にわたしが座し、向こう側にある小さな四角形の布の上には何もない。
そこは、碗琴道のパフォーマンスを直接居合わせて見た人だけでなく、配信で見てくれている人など、その時間を共有した人たちの場所である、というつもりで用意した場所です。

毎日そこに行けばその場所がある、ということは当たり前のことではない。
その場所はある日突然なくなってしまうことがある。
終わりの日を決めていれば、心構えが少しはできるかもしれないけれど、
大抵の物事にそんな想定された日はなく、突然終わりの日はやってくるものだと思う。
そういう痛みを感じれば感じるほど、その場所は大切なものをくれていた場所だったのだと、自覚する。


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