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38年の人生回想・社会人覚醒編(18〜20歳)

38歳記念に自分の人生を振り返っていく、末吉秀太回想録を綴るシリーズにお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

38歳になって半年が過ぎようとしていますが、自分の人生の半分くらいしか振り返ることができず、改めて発信することの難しさを痛感しています。経営者になって約1年半が経ちましたが、切実に時間のなさを痛感しています。

さて、本日のテーマは16歳で高校中退、社会人デビューした当時の末吉少年の転機となった出来事を吐露していきます。前回、社会人デビューするまでの記事はコチラです。(写真は成人式・末吉青年は2列目左です)

16歳〜18歳まではバイトを掛け持ちしながら月に20万程度の収入を得ることが出来ました。車の免許を取得するのと同時に鹿児島市内の中古車販売店に勤務しました。実家が中古車販売で、車もそれなりに好きだったし、給料もそこそこ良かったし、という簡単な理由です。

当時(18)

僕が勤務した中古車販売店は鹿児島市内最大の総合展示場に出店していて、僕が働いている会社含め、県内各地から出店のための厳しい審査を勝ち抜いて集まった選りすぐりの中古車販売店8社が出店していました。

その中でも毎月の売り上げ台数が常時トップの会社でした。
僕も入れて従業員7人(整備士・事務員含む)程度の規模で多い月は50台以上車を売るという、それはそれは多忙な会社でした。18歳で入社した末吉少年の業務は、仕入れた車の内外装ピカピカにしたり、納車する車をピカピカにしたり、積載者で車の納車、故障した車の引き取りなどなど、毎日積載車で300キロくらい走り回るような雑務でした。入社してから1年ほどは運送会社に就職したのか?と思う程トラックで県内を走り回りました。今でも車を運転してどこかに出かけるのが好きで、何時間でも車を運転していられるのですが、車を運転する事が好きなのは、この時期に気づいたことです。

ただ、鹿屋育ちだったので、鹿児島市内はもちろん、北薩や南薩へ向かうことも多く、自分の知らない県内全域のドライブスポットを巡ることができました。阿久根に向かう途中の海沿いの景色だったり、高速代を節約するために山を超えて目的地に向かう途中に高台から見渡す景色、空港近くで飛行機が真上を通っていくスポット。とにかく県内色んな場所を仕事で巡らせてもらいました。

さて、その会社には、僕の5歳年上でWさんという営業担当の先輩が在籍していました。Wさんは多い時に月30台ほど車をうるモーレツ営業マン、体育会系で、怒ると胸ぐらつかんで怒鳴り散らかしてくるような怖い人でした。

一方、厳しい反面、面倒はとことん見る人で、後輩が唯一僕だけということもあってか、毎日3本くらいジュースを奢ってくれたり、お昼ご飯をしょっちゅう奢ってくれたり、飲みに連れて行ってくれたり、とにかく親分子分肌で、毎日財布を忘れて行っても大丈夫なくらい面倒見がよかったです。

社員旅行に行った時も僕の食事とか全部奢ってくれました。人の心を掴むには胃袋からという言葉のとおり、社員や後輩と一緒にいる時にはびた一文お金を出させない、といういまの自分の原点になっている人です。

そんなある日、Wさんの商談が2件ブッキングすることがあり、そのうちの一件を任される大役を担いました。「俺の一件目の商談が終わるまで繋いでおくだけでいい」という任を受け、一生懸命繋いでいたのですが、クロージングに至らずお客さんを帰らせてしまいました。お客さんを繋いでおく事が出来なかったのでメチャメチャ怒られたんですが、その時、お前はそもそもコミュ力が低すぎるという課題を突きつけられました。

その数日後、コミュ力を向上させてやると意気込んでWさんに連れて行かれたのが、繁華街で僕にナンパをさせるという荒治療でした。今から目の前を通るキレイな女の人の携帯番号を聞いてアポを取る、当時の末吉少年に課された超無理ゲーでした。

ナンパなんてやった事ないし、度胸もないので、恐る恐る挙動不審で声をかけていくので当然全く捕まりません。「俺が手本を見せてあげるよ」といったWさんの上手なこと。上手なこと。。。

「質より量、毎日ここにひとりで来て声をかけて量をこなせば勝手に質が上がる」というアドバイス通り、とりあえず女性に声をかけまくることから始めました。次第にダメで元々のダメ元精神が構築されていき、これを1ヶ月程度(1日約30人度・1ヶ月で約900人程度)繰り返すと、もはや断られてもなんともなくなります。目の前の女の子に声を掛けて、ダメだったら、1メートル先の別の女の子にすぐ声を掛けるという鋼メンタルが出来上がりました。次第にこういう女の子だったら行けそうみたいな事も肌感覚で分かってきます。自分がスタッフに常日頃言っているまずは徹底的に量をこなそう、質はあとからというのはこの実経験がベースです。笑

3ヶ月ほど経ち、携帯番号を聞ける確率(マーケティングいうリード獲得率)も、約10分の1くらいの成功率になった時に、普段だったら秒で断られるような、超絶キレイな女性が目の前を通って、ダメ元で声を掛けてみたところ。。。「これってナンパですか?ナンパされたの初めてなんですけど笑」と失笑。逆に面白がられて携帯電話の番号を聞くことができました。恐らく高値の花だと思って誰もアタックしなかったんだと今でも思っています。

それは、自分の中でひとつ確信が芽生えた瞬間でもありました。最初から諦めて、行動しない人がほとんどで、ほとんどの人が妥協していて、自分には無理だと決めつけて、目の前のチャンスを逃している人が一定数存在するということです。目の前に存在するキレイな人に声を掛けるという行動をするだけで、電話番号が聞けるかもしれないのに、高値の花と勝手に決めつけて誰もアプローチしない女性と仲良くなれるチャンスを逃している人がいるという事実です。行動さえすれば10%くらいの確率で成功できるかもしれない。大前提、行動しないと何も始まらないという当たり前のことなんですが、その当たり前を肌で確信できた瞬間です。

当時は気づかなかったのですが、このナンパ体験は現在の自分の人生を構築する多きな養分になりました。例えばディレクター時代、街頭インタビューを収録することが多々あったのですが、この人はインタビューに答えてくれそう!というのは大体わかりました。その後、個人事業主、会社の経営者になってからもとりあえず、やってみよう、やってみて上手くいかなかったら、一回考えて修正して、またやってみよう。というPDCA精神が20年前の当時、自然に構築されていました。

とりあえず打席に立ち続けてバットを振っていればいつかはヒットを打てる理論です。「どうせ打てないから」と打席に立たなければ永遠打てません。まず、自分が何本ヒットを打つか決める。打席に立ち続けてバットを振る。打席に立ち続けてバットを振って次第にヒットを打つ。打てなかったら具体的に反省し、練習し、打てる確率を少しでも上げる。という感じでしょうか。

今このnoteを読んでいる方で、自分のやりたい事があって、ただ思っているだけじゃなく、具体的なアクションをおこしている人はどのくらいるでしょうか?うまくいく方法は知っているけど何も行動していない。面倒くさがって何もしていない。という人は意外と多いはずです。

行動するというのは、失敗するかもしれないという恐怖の裏返しです。しかし行動しなければなにも始まりません。何かに迷っている人がこのnoteを読んで行動するキッカケになれば幸いです。かくいう私もnoteを毎週更新すると宣言しながら今年初投稿になってしましました。頑張って更新します。笑

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