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BANANA FISH アッシュの死について

今回は、アッシュの最期に注目して書きます。
結果から、申しますと、あの終わり方に満足しています。
なぜなら、アッシュの生き様を社会的目線で判断して、裁かれる側であったからです。でも、人が裁くのではなく、実際人を裁くものは法ですね。
では、実際法廷にアッシュが出廷していたとしましょう。結果はどうでしょう。おそらく、死刑判決を受けていたでしょう。日本に行ける自由などないのです。ここで、注目したいのが、アッシュが「●●●される」側なことです。

図書館で、1人で英二を思った時、刺された。急所ではなかったため、死ぬことはなかった。でも、自ら、死を選択する道を選んだ。と読み解けますね。
死についての、哲学なんて言ったら大袈裟ですが。
アッシュが、自ら死を選べる状態にあったと言えますね。警察に捕まったり、裁判に画面が移ったら、『自ら死を選択』することができなくなりますものね。
自論ですが、アッシュは小さい時から、誰かから選択される人生を歩んできました。自ら、行動を起こすことができない立場にありました。
ゴルツィネに支配され、ブランカから人を倒す術を学ばざる得なかった。そして、ニューヨーク街で、ギャングのトップとして祭り上げられた。

これが、彼が望んできたものなのだろうか。

話の中に、何度も、ギャングのトップを辞めたかったと書かれていた。
図書館で死ぬ前にも、アッシュは何度も『死にたい』と思ったとこはあったと思う。死について、否定している部分もあるが。言い換えるとしたら、別の選択をしたいと強く願ったことは、あっただろう。
選択肢。それが、彼に持っていなかったものだ。
仲間を大事にする思いもあった、英二のことももちろん大事だった。
だが、それより、なにより自分を見つめなおすために、図書館に向かったんだろう。一息ついて、考えたかったことだったんだろう。
あの、結末はアッシュが自分で選択した結果だと、思う。ラオに刺されたことを、後悔ではなく、感謝に近いものだと思う。
自由になって、彼が唯一選択できた道だったからだ。彼が、自分を一番大事にできた瞬間だとかんじた。

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