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認知症の弁護人

この記事は、実際に認知症の専門弁護人の話ではありません。私の祖父は認知症だ。要するに、家族に認知症がいる家族が本人に成り代わって弁護するというものだ。実際に本人たちの気持ちは、わからないので想像である。

数日前、祖父は家からでていって、居なくなってしまった。あっという間の出来事で、一緒に暮らす祖母とおじは「またか」と呆れた。そう、じいさんの徘徊は今回がはじめてではない。4、5回、大なり小なりもっとある。

朝9時頃から、いなくなり、10時に警察に捜索の連絡をし、市の広報にお知らせが流された。それから、8時間ほどたった、夕方6時半頃、遠方の市の警察から連絡あり、じいさんの無事が知らされ、父とおじが車で迎えに向かった。

私は、居なくなった連絡をもらい、仕事場から新幹線に飛び乗り、2時間かけて地元にじいさんを探すために帰った。地元についた時に、夕方でもう1時間ほどで日が沈む頃だった。私が探しはじめて、15分ほどたったとき、電話に発見の連絡が入った。

会社から東京駅に向かう前に、簡単な抗原検査を10分程度で済ませ、陰性がわかり、新幹線に乗った。乗ってすぐ、紙とペンを出し、地元の地図を書いた。そこに、過去にじいさんが徘徊した地点を書いて、ゆかりの場所をマーキングした。どこかに、見つけ出すヒントがないだろうか。市内も多少の広さがある。田舎育ちのじいさんの自慢は、足腰の強さだ、行動範囲は広い。だんだん、陽がかげるようになって、焦りが積もる。何箇所か、思いつく地点をラインに書いて、捜索中の父と、地元の友達に送る。どこを探してもいないと答えが返ってくる。私が地元に着くまで、まだ30分以上ある。

祖母から、新幹線から在来線に乗り換える大きな駅で、じいさんの形跡がないか聞いてほしいといわれた。電車に乗った?というのか。認知症で、お金のないじいさんがどうやって、なんで?けど、どの可能性も消すことはできない。どんな方法であれ、じいさんが見つかればいい。

やはり、駅員の返事はそんな人物を見ていないと返事をもらって、地元行きの電車に乗り込む。

電車に乗り換えてからも、思い当たる場所をラインでおくる。

私の考えた案を書いておく。暗くなるまでに、見つけなければ、捜索はもっと大変になる。明るいうちに、どうにか見つけたかった。

いなくなって、半日。外は30度を越す、猛暑。90歳を越した年寄りが、ずっと行動しているとは考えにくい。認知症とはいえ、意志はある。

・公園のベンチで、休憩する

・トイレに行きたくて、涼みたくてスーパー

・休憩場所のある駅の中

どこもハズレだった。

どこも探すところがなくなった時、発見の連絡があった。

じいさんがいた場所は、地元から1時間弱離れた街だった。電車に乗っていたのだ。お金は持っていない。身軽なじいさん、誰かのあとについて改札を通ったか。電車側をせめる気は毛頭ない。むしろ、謝るのはこちらだ。じいさんには、知恵が少しはあるのだ。じいさんは、電車に乗りたかったという意志があったのだ。だから、どんな方法であれ電車に乗って移動した。

それがわかり、ひっかかる点があった。じいさんの見つかった連絡をもらって、おじと父で迎えにいった。高齢のばあさんは家に残された。私は東京に帰る最終電車まで、ばあさんと探してくれた友達と食事を取ることにした。ばあさんは、どうして、電車に乗った可能性があると、私に言ったのだろう。食事をしている時に、謎が解けた。

じいさんがいなくなる前日、私はばあさんと電話をしていた。今年の秋にでも、東京に遊びにくるようにいったのだ。その後のことだ。ばあさんは、孫の誘いを喜び、じいさんに興奮気味にその話をしたそうだ。

そして、次の日、じいさんはいなくなった。

あとから、じいさんになぜ電車に乗ったのか、何しに行ったのか尋ねても、よくわからない返事をする。実際の理由は本人もわからないのだから、知る由もない。

けど、こんなストーリーが思いつく。ばあさんに、孫に会いに東京に行こうと話をされる。一晩寝て、おぼろげな記憶から、ばあさんのする楽しそうな孫の話がぼんやり思いつき、孫は遠くに住んでいる→まず、電車にのる。こんな思考だったのではないか。実際は、私の住む東京とは反対の西の駅で発見されるじいさん、おしい。笑

笑い事ではないけど、笑える。

ばあさんも前日の話を思い出し、もしかして…じいさん電車に乗って、孫に会いに行こうと思ったのか。

本で読んだことがあるが、認知症の人は細かい話は理解できない面があるが、相手が楽しそうにしているか、怒っていることに敏感らしい。あまりに、ばあさんの舞い上がった話しぶりに、出発してしまったのではないかと。

それに、認知症になる前にも、じいさんは孫をとても大事にしていた。だから、私も仕事もそこそこに、気づいたら新幹線に飛び乗っていた。それもそのはずだ、自分が東京でこうして働けるために、じいさんは小さい時からよく面倒をみてくれた。一緒に暮らした22年間が、私を新幹線に乗せた。

だから、じいさんが電車に乗って、わたしのところに来ようとしたんじゃないかと、後付けの理由だけど考えたかった。ボケても、孫への愛は忘れないと信じたい。

あと、じいさんはみつかった時に漏らしていなかったし、お腹を空かせていた様子もなかった。誰かに、聞いてトイレにも行けたのだろう。本人に聞いても、わからないから、想像でしかないが、もしかしたら「お腹すいた」と誰かに言って、見かねた人におむすびの1つも買ってもらったんじゃないかと思っている。認知症でも、軽度だと思った。生きるために、人に頼る力は残っているようだ。90代半ば、まだ十分生き抜く力があることに気づいた。老人だからと、優しさばかりかけることがいいと、侮っていた。怪我がなくてよかったし、周りに危害を与えていないのは結果論ですが・・・。

おそらく、また忘れたころに、じいさんは徘徊するに違いない。なぜなら、面倒みる人と知恵比べするくらいの力が、じいさんにあることがわかったからだ。ばあさん、おじと父には悪いが、私はじいさんに『生き抜く力』があることを表彰したい。どんな結果であれ、最後の一秒までじいさんの人生だ。

じいさんの冒険まだまだ続く。徘徊しても、ちょっと周りに迷惑かけても帰って来れると信じることにした。自分勝手なじいさんを持つ、自分勝手な孫のアンサー。

じいちゃん、秋にこっちにくるの待ってるよ!


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