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絵画の制作理論その1の補足: 偶然の平均化と複数作品のチャーハン化


その1では画面を多層化する際の失敗例として情報量の飽和を例に出したが、戦略的に情報量を飽和させる方向に持っていくのがむしろ有効な場合もある。以下ではその例について解説したい。

ジャクソン・ポロック

ポロックがブラシに含んだ家庭用ペンキを空中に放り投げると、その粘度の高い液体は重力によって複雑に形を変え、スタジオの床に敷かれたキャンバスへと着地する。
そのペンキは人間の手捌きでは生み出せない豊かな表情を持っているが、完璧には制御できないこのドリッピングという手法で、どうやって調和の取れた画面を構築するのか?──そう、情報量を飽和させれば良いのだ。

One: Number 31, 1950 https://www.moma.org/artists/4675

個々のペンキのドリップは制御困難だが、それを様々な方向から満遍なく画面にドリップさせてしまえば、全体に統一感を与えることができる。
だがその一方で、ポロックは使用する色を数色に抑え、色同士の対比を維持していることも忘れてはならない。

偶然の平均化

ポロックの方法論は、いわば偶然の平均化である。この現象に対する理解を深めるため、20色の中からランダムに色を表示する関数をエクセルに組み込んでカラーチャートを作成してみた。
完全にランダムということは、各色が選択される確率が常に一定という意味でもある。そのため微調整を行わずとも、画面のどこを切り取っても完璧に平均化され、ひとかたまりの平面へと調和した画面が生み出される。

だが以下の画像を見ても分かる様に、適情報量の調整がとても重要だ。左側の方がピクセル数が多いのにも関わらず、明らかに視覚的な情報量が少ない印象を受けるだろう。何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しである。

平均化の副作用

偶然の平均化は極めて再現性が高い。一度この理論を理解すれば、高度な技術を使わずに同じような画面を何度でも・誰でも制作できる。
だが裏を返せば、それは個々の作品に変化や特徴を与えることが難しい、ということでもある。全てが過剰に平均化されてしまうのだ。

ポロック自身も、批評的に高く評価されたこの技法から飛躍して新しいスタイルを提案することはなかった。偶然性を制御しようとした結果、いつの間にか自分の選択肢が狭まってしまう可能性についても注意しておきたい。

バリー・マッギー

前回でストリートアートは視覚情報の飽和という問題にぶつかりやすいと述べたが、逆にその効果を有効活用するのがバリー・マッギーである。

バリーの描くドローイング・グラフィティ・パターンなどは、個々に展示しても長時間の鑑賞に耐えうるような視覚的強度は持っていないだろう。
だがそれらを大量に組み合わせ、ひとまとまりの作品として提示することで、鑑賞者を圧倒する現代絵画として成立させている。

Barry McGee: Mark Morris Dance Center Mural in Fort Greene, Brooklyn
Barry McGee: UNTITLED. 2021

視覚情報のチャーハン化

近代以降、絵画は他の作品や展示空間から分断された状態で、個別にじっくりと鑑賞されるべきだ、という発想が主流になっていった。
しかし画家の立場からすれば、弱い作品、弱いコンセプトをひとつの絵画・壁面・展示空間へとまとめ上げるために、ランダム感のある配置構成を活用できるのだ。

全体を均等に混ぜ合わせる、素材の質は問わない、高度な技術はいらない、常に及第点を叩き出せる──意図的な視覚情報の飽和・平均化はかなりチャーハン的である。とにかく困ったらこの手法を採用することが可能だ。

コンセプトもクオリティもバラバラな作家が大勢集まったグループ展をなんとか成立させたい場合にも、作品を壁面全体に配置するサロン形式の展示を採用すれば、ひとまとまりの作品の様にまとめあげることが可能だ。


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