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幼稚園の頃の絵と、神棚を燃やした話

そろそろ正月気分も落ち着いてきた頃でしょうか。
毎年恒例となってきた「年始のお焚き上げ」のお話です。

年始に神社で燃やしてもらうものといったら
役目を終えたお守り、おふだ、正月飾り…などが定番ですが
子供の書き初め、お年玉のポチ袋、旧年の各種ご祝儀やお返しなどの熨斗袋、年賀状、手紙や写真などもOKとのことで。
ゴミとして棄てるには抵抗があるな〜というものを燃やし、祓い清めて天に還してもらっています。今年で3年目。
(やってみたいけど本当にそれを燃やしていいのか不安、という人は神社に問い合わせてみてください)

2018年末に祖父が亡くなり、2019年は遺品整理やプチリフォームでさまざまなものを手放しました。
その中で「ゴミとして出すんじゃなくて、お焚き上げしたいな」と思ったものが…

幼稚園の頃に描いた絵

棄てにくいですよね〜…リアルタイムでならまだしも、長い間とっておいたものをあらためて処分するとなるとなんだか名残惜しい。
というか母に止められる
「どんな絵でもあとから見返したら思い出になる。大切にしなさい」と恩師にもよく言われたのですが。
しかし実際のところ、なんとなくとってあるけど見返しもせず押入れでホコリをかぶるばかり…では「大切にしている」とはとても言えない。
ならいっそ燃やすか!少なくとも「お焚き上げで燃やした」て思い出は残るわけだし!
ということで。燃やす前にまずは写真を撮りました。

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この赤いのは「いちご」だそうです。

幼稚園〜小学生の時期に増え続ける子供の作品を残すライフハックとして「写真を撮って現物は手放す」はよくあるそうですね。
撮影は私ではなく母が行いました。私と兄のふたりぶん、制作順にきれいに並べて分類して…マメだなぁ。
成長するごとに絵が具象画っぽくなっていくのがおもしろい。

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これは『うさぎぐみ の ぴよこくん』
この絵だけ見ると「病んでるのか…?」と思われそうですが、実際に幼稚園で黒い品種のヒヨコを飼っていたのです。「ぴよこ」は卵から孵る瞬間も見届けたので、思い出深い。
誕生の瞬間は「黄色くてふわふわのかわいいヒヨコが生まれると思っていたらなんか謎の液体にまみれたボロ雑巾が出てきた」みたいな、感動とショックがないまぜの複雑な気持ちになったのを覚えています。生まれた瞬間はボロ雑巾のようでしたが、ピヨピヨ鳴きながら歩きはじめるととってもかわいくて、「ぴよこ」と名付けられました。卒園前には成長してコケコケ鳴いてましたがずっとぴよこです。
(この園では他にアヒルとウズラとウサギとカメとイヌとネコ、あとたしかインコみたいな小鳥も飼っていました。ふれあい広場か?)

撮影作業を横で眺めていてあらためて知ったのですが、すべての絵の裏に先生からの丁寧なコメントも書かれています。

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先生もすっっっごいマメだな!?
せっかく用意してもらった画材をガン無視で好き勝手描いてたとか、いかにも私がやりそうで申し訳ない。
(ちなみに、ぴよこは卵だけでやってきたので園に家族はいませんでした)
絵へのコメントだけでなく、季節のお便りや連絡帳、身体測定に歯磨きチェック…とぜんぶ手書きでキッチリ。
こんなのキーボードうつだけでもものすごい労力だろうに、通常業務と並行して手書き(高頻度でイラストも付いてる)でやってたの!?やばいな!?相応にお給料上げて!!!??
と心から思いました。
先生からのお手紙まで含めると本当に膨大な量になるので、お焚き上げに持っていくものは厳選しましたが。

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三つ子の魂百までだな…と感じさせられるコメントが多くて気恥ずかしいやら申し訳ないやら。あと「 そんなんちがうで」と言われたら続きを二度と描かないとか。ごはんも食べずに描き続けてるとか。大変だったろうなこの子の相手するの。やさしい人々に守られて育ったんだなとしみじみ。
もしまだおうちにこういうものが残っている方は見返してみるとおもしろいかもしれません。


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そして元旦にお焚き上げ。神棚を添えて。
この神棚も祖父が亡くなってから手放そうということになり、しかしゴミに出すのは憚られたので、事前に電話確認をしてから燃やしてもらいました。
OKをもらいはしたものの、周りがお守りや絵馬など小さなものを火にくべている中で自分だけ神棚を抱えているのがひどく場違いに感じてどぎまぎしました。
(なんかおじさんがこっち見てる…怒られるのかな…でも神社の許可はとったしな…)
とひとしきり逡巡してからエイヤと気合いを入れて神棚を火にくべようとすると、こちらを見ていたおじさんから「もしもし」とお声が。
「ハイッ?(怒られる!?)」
大丈夫ですか?ぼくがやりましょうか?
「…え?」
どうやら私がチビなので、ちゃんと火の中心へ入れられるか心配で見守っていたらしい。思いのほか世間はやさしかった。
「アッ大丈夫です!自分の手で燃やしてみたいんで!」

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乾いた木だからか、本当によく燃えました。
そしてあっという間に崩れて炭に。
しっかりと形のあったものがみるみる消えていく…のを目の当たりにしたくて3年もこちらへ通っています。
気温は低いけれど勢いの強い火のそばは暑いくらいで。

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また紙束に火が移り、黒く染まり白い灰に変わるさまは、不思議と水に濡れていく様子に似ていました。


さてこれでまる1年ほどかけた身辺整理もようやく一区切りかな…

と思ったのも束の間。

「ごめん、古いお守りが出てきたからこれも燃やしてきて」
「おじいちゃんの修行着?も出てきたわ。背中に南無阿弥陀仏って書いてある白衣」

年が明けてから3回(門戸厄神も入れたら4回)も神社へお参りすることになりました。さすがに神様も呆れているのでは…


元旦から通い続けてなんやかんやで「十日戎」の時期にまでなりました。

十日戎(とおかえびす)
「えべっさん」の愛称で親しまれる「えびす神」のお祭り。
(七福神の一柱でもある恵比寿。古くは「大漁追福」の漁業の神。時代と共に「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす福の神となった)
1月9日・10日・11日。それぞれが「宵戎(よいえびす)」、「本戎(ほんえびす)」、「残り福」と呼ばれる。
「残り福」では縁起物を値切って安く買うことができるので近所の商売人たちで賑わうのだとか。

この時期は近所の神社でも「商売繁盛で笹持って来い〜♪」という音楽が流れていて、まるで初めて訪れる場所のように感じました。
そもそも十日戎という行事もろくに知らなかったので新鮮。
せっかくなので「種銭」もいただきました。

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これは「お金にご縁がありますように」と5円玉に商売繁盛・金運上昇の祈願をこめたもの。お財布に入れて金運UPを願ってもいいし、人に渡して「お金が廻るように」と祈ってもいい。
私はとりあえず1年、お財布に入れてみようと思います。来年は誰かに渡せるといいなぁ。

元旦に初詣をしたのも十日戎にお参りしたのも初めて…
初めて1日にお参りをすると、長く行列ができていたり晴れ着を着た人がいたり、今まで見ようともしなかった景色が見れました。
人混みが苦手なので元旦なんて絶対御免だと思っていましたが、小さな神社なのでそれほどぎゅうぎゅうに混んでいるわけでもなく、待ち時間はそこここにある案内板(祀られている神様のご紹介や、寄付金で具体的に何が改善されたかの説明)で退屈しなかったので意外と快適でした。行ってみるもんだ。
祖父の存命中はこうした行事は「義務感でやるもの」という感覚でしたが、「やってもやらなくてもいい」自由な心地でやることは何事も軽快なものだなと。
2019年は「自由だ!」という開放感と「今までは不自由だったのか」という閉塞感が交互にやってきてなかなかしんどくもありました。
人生ってその繰り返しなんだろうなとは思いつつ…
2020年はもう少し軽やかになりたい。



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余談:
お焚き上げから帰宅したら児童画展示スポットができていた。
お気に入りの何枚かはやっぱり手放せなかったらしい母。

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