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NewYear2024

遅ればせながら描き初め。ことよろです〜
今回は元日に見た映画と、震災の記憶について少し。
震災についての話題には今は一切触れたくない、という方はここまでで。

タツノオトシゴのオスには「育児嚢」があるらしい。
お父さんがおなかのポッケで子育てするのだと。 へぇ〜


何やら日本中、世界中が大変なことになっていますね…
元日のあのとき、私は家人と映画館にいました。
靴を半分脱いでくつろぎモードだったところへグラッと来て、場内がざわめいて、高い天井の上の方でホコリがキラキラ舞って。
家人が私の手に縋り付きました。
揺れが大きいし長い。上映は中止になるのだろうか。と、様子を伺ってみてもスタッフさんは少し顔を出した程度で特にアナウンスもなく、なら大丈夫なのだろうか…と不安のまま視聴を続けました。
ほとんどの人は席についたままでしたが、お隣にいた人はほどなく劇場を出て行きました。
私たちも、いつでも駆け出せるように靴を履きコートを着て、椅子に浅く座りながら見ていました。ずっと家人の手を握っていました。

私は幼稚園の頃に阪神淡路大震災(1995年)を経験しています。
が、揺れていた瞬間は眠っていたので、これに関して深刻な恐怖の記憶はあまりありません(消したのかもしらんが…)。
目が覚めたら家族全員が箪笥の下敷きになっていて、這い出した母が近所の人に助けを呼びに行って。救出されてみれば家の中がめちゃくちゃで、デカくて重いブラウン管テレビも落っこちていて、食器はほとんど割れていて。
私を抱く母が泣いていて、「なんだか大変なことになっている…」とは思いました。
それから、もっとひどい被災地にいた親戚が我が家に避難して来たり。しばらくの間は同い年のいとこ達と共同生活をしました。
自分の幼稚園に、いとこが編入して、いっしょに卒園して。おかしな話ですが、その間は楽しくはしゃいでいた思い出もあります。
けれど、今回の揺れでそのいとこ達が「自分たちみんなパニックだったよ、過呼吸になる!(笑)」と言っていて。笑っているけれど、実際は笑い話ではなかったのだろうなぁとあらためて思いました。逆に笑い飛ばすことで恐怖を誤魔化しているというのか。
当時の私は幼すぎて思い当たりもしなかったけれど、お友達が亡くなったりもしたそうで。あまり詳しく聞き出しはしなかったけれど、そりゃそういうこともあっただろうなと、あらためて。

被災して数年後、私はいとこ達が住んでいた地域へ引っ越しました。その頃には震災の爪痕はもう随分薄れていました。ところどころ、断層のあと(コンクリートが縦に割れてズレていたり)があったりするくらいで。
けれど、小学校の担任の先生から「震災当時、誰か一人でも助けたくて走り回ったが、結局誰も助けられなかった」という経験談を聞きました。
「瓦礫の下のお婆さんの足を掴んで引き摺り出したらもうご遺体になっていた。その顔を見た」と。トラウマになったろうと思います。当時の私は、話を聞きながら想像してみましたが、自分の頭の中に浮かんだのはアニメか漫画の絵のようでした。実写の人間の顔で、それを思い描くことはできませんでした。でも先生はそれを正面から見て、忘れられないのでしょう。
そういう記憶を抱えたままの人が、日本にはたくさんいるのだろうと思います。2000年代に限っても、日本中で毎年のように…いや毎年、何かしら災害が起きているのだから。

同じ災害を経験していても、トラウマの深刻さは人それぞれ。
私と同じ場所にいた母は、大人だからこそ事態の深刻さをはっきり認識できてしまい、今でも震度1〜3でとても怖がります。いとこ家族に関しては言わずもがな。
逆に私よりも下の世代の親戚は、大人達の体験談を聞いてもやはり想像が及ばないようでありました。今まさに幼稚園児の甥っ子は大人たちの話など全く意に介さずはしゃぎ回っていたし。まぁそれはそれで良かったのですが。健やかに育て。

一方で、東日本大震災(2011年)の頃に東京にいた身内は「すごい揺れだったけどなんだかんだ無事だったので、逆に鈍くなったかもしれない」なんて言ってたりします。
その人は地震が起きると、地震速報を見たりガスの元栓を確認したりはしますが、それだけです。騒ぎません。怖がる方に「震度3くらいでそんな騒がんでも(笑)」なんて笑いすらする。
本人としては、事実だけを述べて「大丈夫だよ、落ち着いて」と言っているくらいの感覚らしいのですが、言われた人によっては「馬鹿にされている」「自分の恐怖を軽んじられている」と感じてもおかしくありません。
実は目の前のその人の恐怖はあなたが思っているより深刻かもしれないので、悪気はなくても、笑うのはやめてほしいなぁと思います。悪気はないから説明されれば納得して笑わなくなったりもするのですが、トラウマ抱えてる側に詳細に説明させるのは酷だからね…
目の前に恐怖でパニックになっている人がいたら、一緒にパニックになる必要はもちろんありませんが、その恐怖や苦しみにただ寄り添ってあげてほしい。「怖かったね」の一言だけでもあるとないとじゃ違うものです。
「大丈夫?」「元気を出して」とか言えるのもその後。
自戒も込めて。

また、災害に限らず強いストレスを感じたままそれが癒えない人は、すぐには無理かもしれませんがプロのカウンセリングを受けてみるのもいいと思います。素人は「良かれと思って」のクソバイスをしがちなので、この「ただ黙って聴く、痛みに寄り添う」ことがなかなか難しい。もちろんカウンセラーさんとの相性もあるでしょうが。
私はとある事情で去年からカウンセリングに通っているのですが、やはり友達や家族と話すだけではどうにもならない領域があるなと実感しました。
まぁ災害だらけ、戦争だらけ、差別だらけだし、30年間ずっと不景気だし、感染症は次々新しいのが出るし、気温はめちゃくちゃだし、まだまだハラスメントも多くて意外とそこら中に虐待サバイバーはいるし、しんどいことだらけの世の中で誰だって何かしら抱えています。憂鬱にもなるさ。
もうちょっと気軽にカウンセリングにもアクセスできる世の中になってほしいなぁと思います。

窓ぎわのトットちゃん

さて話は変わって『窓ぎわのトットちゃん』。
原作未読で視聴したのですが。
いやもう開始3秒でアニメーションの凄さに圧倒されました。
とにかく「生き生きとした動き」というアニメーションの基本かつ真髄のパワーが凄かったです。
また作中でトットちゃんの「想像の世界」「夢の世界」などでいろいろな手法のアニメーションが展開されるのでとにかく楽しいです。

トットちゃんの通う、「電車の車両」を教室にしている「トモエ学園」
見ながら、なんかもう羨ましくなっちゃったもん。「今からでも私ここに通いてぇ〜」って思っちゃいましたもん。いやボットン便所や裸のプールはさすがに無理だが。

原作未読だけど事前に↑のインタビューを読んでいたので、ところどころ「あぁ…」と思いながら見ました。読まなくても全然楽しめると思いますが、パンフも合わせてすごくおもしろいのでおすすめです。
なんか細かいところいろいろ語りたかったけど結局「いいから見て」になっちゃうな。見て。
上の方で「相手の話をただ聞いて、寄り添う」のはすごく大事だけど素人には難しいのよね〜という話をしましたが、それをしてくれるのがこの映画に登場する「小林先生」。そして小林先生にいろんなお話を聞いてもらった「トットちゃん」の延長線上にいるのが「黒柳徹子」さんなのだと。
2023年後半(いろいろあってカウンセリングを始めた頃)からこの「聞く」というのを強く意識してたので、めちゃくちゃ刺さりました。

トットちゃんのお母さんの自伝『チョッちゃん物語』、調べてみたら図書館にありました。落ち着いたら『窓際のトットちゃん』と合わせて読んでみたいと思います。



ところで「今からでもトモエ学園に通ってみてぇ」と思った私ですが、帰宅後「そういやぁ昔通ってた幼稚園や学童保育はちょっとあんなかんじだったな」とも思いました。さすがに教室が電車の車両だったりはしませんでしたが。いい環境で育ててもらったと思います。


まとまりないけど、最後はここ数年の干支イラスト。
来年はどんな顔をしているかしら。


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