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「定年女子」番外編⑤

④を書いたのが1年近く前だったことに気づいた。体調不良からの回復過程で諸々思い出すのも良いかもしれないと、続きを書くことにした。再就職が決定し、はてさて子どもの保育園への送り迎え前後約30分程度の時間をどのようにするか?
そんなことを書く前に、今更気づいたのだけど子育て話の中にほとんど夫が出てこない。自慢じゃないがリアルなワンオペだったのだ36年近く前の話だ。だいたい出産時だってたまたま休日でゴルフの予定が入っていた夫は出がけに産院に立ち寄り、じゃあね、って感じでゴルフに行ったのだよ。こういうことって夫は忘れているだろうけれど私は絶対に忘れない。
あっ、話が明後日の方向に行きそうだった、そう保育園開園午前8時半までと午後5時半からをどうするかってこと(この時間、正直既にうろ覚えだ多分合っているはずだけど。

当時職場へは自動車通勤、高速を飛ばして何とか30分前後で通える距離、だから前後30分を何とかクリアすれば、働ける!という状況だったのだ。この時代、時短勤務なんていうものもない時代、多くの人はその数10分を近所の団地の奥様達にお願いしていた、ちょっとしたアルバイトとして。
私はまずは知り合いに声をかけ、緊急避難的にお願いしつつ、継続的に対応してもらえる人を探し出してお願いすることになった。ちょっと大きい姉弟のいる家だった。
朝、その方の家に子どもを送り届け、帰りはその家に迎えに行く。そんな日常が2年ほど続いた。
仕事はといえば、出産退職するまで働いていたアメリカ企業のグループ会社、日本国内での生産子会社だった。そこの社長秘書、これ聞こえは良いかもしれないが、内実は朝から晩まで電動タイプライター(当時最新鋭の記録媒体付きのオリベッティ―社製)に向かって、経理部長や社長、会長(海外担当)の様々なレポートを作成しつつ、夕方になると輸出部のあれこれをテレックスで送るという、1日中キーボードに向かっているような日常だった。
総務課所属として、のんびり屋の女性と交代で郵便局まで郵便物を出しに行ったり、お取引先様の冠婚葬祭関係で贈答品を手配したり、なんだかんだとあわただしい日々だった。
一つ大きなアドバンテージだったことは、基本が同じアメリカ企業だったということ、ファイリングのルールはは全く同じ、会長も知り合い、海外のグループ企業もほぼ理解でき、最初からスムーズに動くことができた。

この時に痛感したのだ、再就職は同業種か同職種で探したほうが良いということを。
そんな再就職のスタート、金銭的なことはあまり嬉しい話ではなかったが、在籍2年間の間に、どうにか出産退職時の月収に戻せたことは我ながらよくやったと思っている。

その会社を2年後には辞めてしまうのだが、その理由と次の会社の話はまた思い出した時に書くことにする。

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