八朔

文は一息で素直に書きます 文を読むのは苦手です めんどくせえ性格です

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「趣味は映画鑑賞です」の心理戦

趣味は映画鑑賞と謳いながら ショーシャンクが好きという人は にわかだという定説がある 実際に一理ある が 通ぶってショーシャンクを蔑むのは ナンセンスだし 事実ショーシャンクはいい映画だ 「趣味は映画鑑賞です」の一言が 高次元化しすぎている 何の映画を例としてあげるかはさておき この高次元構造に違和感を持つ者は 「趣味は映画鑑賞です」と 言う権利があると思う というのが現段階の本音 では自己紹介で言う好きな映画の 正解は何だろう トレスポやパルプを好きって言ったら 映

    • 話が合わない人

      話し合わない人がいた 持ってた水のペットボトルを見て 「え、水、おそろっちじゃん  やったね (てきとーな棒読み)」と  瞬発力だけで言った かえって共通点のなさを 浮き彫りにする一言だったと 1秒後に気がついて より話すことがなくなった

      • お酒と新社会人と違和感

        お酒飲める奴は楽しそうでいいよなあ という羨望と憎しみを強く感じる 新入社員懇親会 乾杯前にテーブルに用意された 4種各4本で16本の瓶ビールと たった4本の小さい烏龍茶の瓶が 理不尽を物語りすぎていた 飲むのがマジョリティみたいな 飲む側の人間が持つ感覚は 酷く無神経で 飲む側が当たり前のように 上から主導してくる感じも なんとも腹立たしい 娯楽でしかない上に 飲めない人を不快にするのだから 飲酒税をあげるとかしないと 飲めない人とのバランスは 取れないと思う それ

        • 共通点がない

          話が合わない人がいた。 持っていた水のペットボトルを見て 「え、水、おそろっちじゃん やったね (てきとーな棒読み)」 と瞬発力だけで言った。 かえって共通点のなさを 浮き彫りにする一言だったと 1秒後に気がついて より話すことがなくなった。 高尾山の頂上でこんなことが起きた。 下山は辛かった。

        「趣味は映画鑑賞です」の心理戦

          親の呪縛と自分の正体

          この親に育てられたからこれが好きだとか、これは苦手だとか、自然にいろいろあるけど、親ルーツではない”好き嫌い”を数えると、あまりないような気がして、なんか物悲しくなる。親の呪縛は小学生ごろからずっと思っていたけど、もし親がいなかったら自分は何になっていたかなとか、何を好きになっていたかなとか遥かに開けた可能性について考えてしまう。特に好きとか生き方とかポジティブな何かを語る上で、帰着するルーツが結局親なの何故かちょっとだけ悔しい。悪いことじゃないけどなんでかね。違う親に育てら

          親の呪縛と自分の正体

          社会人になった自覚というかそもそも自分の当事者意識がない。

          私は多分、人より自分の当事者意識が薄くて、自分の名前も自分のものだと思えないし、今を生きていてもそれは半分くらいオートモードな感覚だから、今の全てをリアルタイムで感じながら噛み締めて生きている感覚はない。今抱くべきたいていの感覚は遅れてやってくる。  ふいに、条件が揃った風の匂いや雨の音を感じると、ようやく過去を自分で生きた感覚を獲得できる。最近雨を嗅ぐと、小学校のひんやりした空気や、湿気だらけでキュッキュッ鳴る廊下を思い出し、過去の記憶と自分の意識が同期し、ようやくその時生

          社会人になった自覚というかそもそも自分の当事者意識がない。

          そっと優しくへし折って

          辛い時に、励ましとか応援で 折れそうな心を正してくれる人。 とても尊い。 でも、 誰かが正す役をやるなら、 私は「逃げても良い」って、その心を そっと優しくへし折ってあげる役に なりたいと思う。 悪魔の囁きかもしれないけど、 逃げてはならない時もあるけど、 使わなくたって、逃げ道があるという事実が、 心の余白面積を生むのだと思うから。 だって私がそうだ。 私の母は立ち向かうことの美徳に逆らいながら 常に逃げ道を用意してくれる人だった。 本当に学校に行きたくない日、 ピアノ

          そっと優しくへし折って