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あなたを離さないで

銀河ノコモリウタ

2022年3月14日、人生で初めて、本格的な機材によるレコーディングを体験してきた。SOUND&ART BOOK 音のえほん「銀河ノコモリウタ」 に、一般からの朗読者として参加したのだ。

総合プロデュース・歌手のkawoleさんを始め、パーカッショニスト渡辺亮さん、ギタリストIsa Guitarraさん、美術家の安野谷昌穂さん、翻訳家の柴田元幸さん...と、錚々たるお名前が並ぶプロジェクト。

そんな方たちの作品に自分の声が残るなんて、大それたことを。
それに、クラウドファンディングによって行われたこのプロジェクト、朗読参加権は10万円。私にとっては大金。

参加を決めた日のことはよく覚えている。プロジェクトを知ってから数時間後には参加のところをクリックしていた。10万円をどこから捻出するか、って、あまり考えていなかった。
それは今振り返れば、長年の自分の声への思いと、かつてやりたいことに気づけなくてそのまま放置していた自分とに向き合う覚悟の10万だった、なんて思う。

Kawoleさんたちにグッゲンハイム邸で出会った日の日記はこちら 「知っていたと思い込んでいるはずの世界が反転する瞬間<声を使うこと・前編>」

声は魂の乗り物という

声は魂の乗り物、とは、ヨガオブザボイスの創始者シルビア・ナカッチのことば。

私は自分の自我が曖昧で、人に同調しやすい。いくつかの仕事や役割を掛け持ちすることも多いので、親しい友だちには、あなたの中に何人もいる、と言われたりする。
どれも私で、どのモードのときの人間関係も大切なのだけれど、ときどき、いったい自分はどれなんだろうという気持ちに陥る。

いっぽうで声はその人が全て出ると言われる。まさに魂の乗り物。
声に向き合えば、これが自分と思える姿が見えるのではないかしら。

そんな思いで、いろいろなヴォイスヒーリング に興味を持った。その中で出会ったのが、ヨガオブボイスだった。

出てみて初めて気づくこと

私の音楽的原初記憶は母の子守唄、そして幼い頃に母に連れられて通った教会の音楽だと思う。
バロック的な和声の流れとグレゴリオ聖歌のような無伴奏の声の連なり。
そこに重なるように、やがて姉のピアノが加わった。

私も不真面目ながらピアノを習って、クラス合唱のときには伴奏を、部活は吹奏楽、ついでに友だちとバンドを組んで、と、中学生活ではステージに乗りっぱなし。
高校進学のときに音楽科も視野に入れていたものの、親の転勤のタイミングで、あまり深く考えもせずに普通科に進学した。それでも、大学進学のときは音楽から離れたくない思いが強くなり、音楽学といって実技ではなく作品研究などをする分野に進んだ。

自分が演奏するのは趣味の延長でも、学校も家も音楽で溢れていた。
そのことがいかに幸せだったかを、大学を出てから思い知ることになる。

私の就職した頃は超氷河期。そして希望する音楽系出版業界は、そもそも新卒募集というより欠員が出れば募集、な世界。
とにもかくにも編集職に就こうと、卒業間際で採用されたのは医療系専門誌の出版社だった。音符の1つも出てこない世界。

卒業まで、構内のどこかから音楽が聴こえる、暇つぶしにはピアノのある練習室を使う、そんな環境にいたのに、無機質なビルの中で文字と臓器の写真を追う日々が始まった。業界特有、毎日、毎日、遅くまで働く社会人1年目。
ある日夜道を帰りながら、今の私には何にも音楽が聴こえない、と、涙がポロポロこぼれでた。
もちろん、CDでもラジオでも、音楽を聴くことはいくらだってできる。だけどわざわざ聴くものでない、どこかで誰かが練習している声たち音たちが、なんて遠くになってしまったんだろう。
自分がどれだけ自分の好きな環境にいたか、離れてしまってから気付くという愚かさ。

不思議なものでそれも数年こなすと慣れてしまって、音楽の聴こえない中で転職して、結婚した。
子どものために歌ったり奏でたりはしたけれど、それらはとても小さくて、自分の腕の中だけで生まれては消えていくように感じていた。

少しずつ音楽を取り戻す

子どもが少し大きくなると教会聖歌隊を手伝ったり、ゴスペルに参加してみたりの機会が少しずつ出てきた。そして下の子どもが幼稚園に上がったタイミングで20年ぶりにピアノを再開した。楽譜が嬉しくて。音を追うのが嬉しくて。先生が歌って先導してくれる中で弾くのが嬉しくて。よくぞこれなしで20年も生きてこれたものと思った。

その子が小学校に上がって、地元出身の声楽家さんが率いる、小学生コーラスに参加するようになった。
保護者としてお手伝いする中で、わざわざ聴くのでない音楽が溢れはじめた。練習を始めたばかりの歌だったり作る過程の歌だったり。音楽としてコンプリートしていない音の断片。繰り返し。トライアルアンドエラー。そして決まった瞬間。何年も前は身近に溢れていたものたち。

あるとき指導者の先生とのご縁で、先生のバックコーラス隊に参加させて頂いた。
何て楽しいの。その一言に尽きた。
思わずバイオリニストの友人につぶやいた。
私、歌がやりたいかも。
やったらいいじゃん。やりなよ。

自分の輪郭線を1本ずつ描く

その思いを持ち越したまま、先述のヨガオブボイスのオンラインコースに参加した。
声を出すこと自体に若干抵抗があったのが解消された。仕事の一環で、子ども相手に語りをするときも、それまで感じていた自分の声との奇妙な距離を埋めることができた。
そして少しずつ朗読音声の公開なども始める。

その過程で出会ったのが、銀河ノコモリウタのプロジェクトだった。
「声の銀河」というものに参加させてもらう。
たくさんの人の声を星座のように繋いでいくという、画期的で貴重な企画。
何をテキストとするかは自由だった。

膨大な宮澤賢治作品から選ぶ中で、偶然、「告別」という詩と出会った。
『春と修羅』の中のひとつ。賢治が教師を辞するとき、生徒に送ったもの。

「空いっぱいの光でできたパイプオルガン」という言葉に魅かれたというのが理由で、詩のその他の部分についてはあまり深く考えていなかった。

そして、それより少し後になって、とうとう声楽のレッスンを受けた。
たったひとりで歌う声はなんとひょろひょろと頼りない。しかしこれまでに体験した他の何よりも、自分自身に肉迫するようだと感じた。
こんなに自分をさらけ出して歌うのは、いつの間にかぼやけてしまった自分の輪郭線を1本ずつ取り戻すような作業だと。

かつてのわたしへ、そして今のわたしへ

そして迎えた「声の銀河」レコーディング当日。
他の参加者さんふたりとともに、それぞれが選んだ言葉を、マイクの前で読む。
朗読というものは、聞く側の想像を妨げないよう、感情を入れすぎず淡く読む。
それでも、その人が生きてきた人生、その人そのものが立ち現れる。

私より先におふたりが読んでくださり、そこには確かにおふたりの生きてこられた軌跡が見えた。
そしていよいよ私の番。
緊張はするけれども、あまり気負わずにと意識してマイクの前に立つ。

読みながら、私と出会ってくれた先生たちの言葉が浮かんできた。

○○ちゃんは、ピアノをやるんじゃないの?
お前、音楽科に行くんやろ?講堂のピアノ、いつでも使っていいぞ。
きみは、院にはいかないの?

私はどうして先生たちの言葉に耳を傾けなかったのだろう。
才能があったなんてこれっぽっちも思わないけれど、音楽は私の母国語みたいに離れてはならないものだったのに。

何度も目を通した「告別」から、抜粋した箇所を声に変換しながら、私はかつての私へ、そして今の私へ語りかけていた。

もしも楽器がなかったら
そらいっぱいの光でできたパイプオルガンを弾くがいい。

何も深く考えず、溢れる音楽が当たり前と思っていたこどもの私へ。
そして、何も聴こえない淋しさを知った私へ。
振り返るだけでは何も生まれない、前を向く力と、心から大好きなものがあることの幸せに胸を張ろうという思いとともに。

私は私をもう離さない。

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