相手を知ろうとすること
おはようございます。
きのう、いろいろな活動や関わりをしていることに対して、こころが広いんですね、と言って下さった人がいるのだけど、そんなことはなくて、
私と関わろうとしてくれる人たちがいるから、それに応じていたらそうなった、だけだと思っている。
ひとつ前にアイデンティティとコミュニケーションについて書いてみたんだけど、大好きな友人とのやりとりで発見がたくさんあった。
相手をどんなに理解したと思ってもどこまでいっても、それは自分の中に作った像になってしまうんだけど
それでも、相手を知ろうとすることや、認識が違っていた場合には素直に訂正する謙虚さを持つこと、で、他者理解を深められるんじゃないかな、って。
知ろうとすることも、間違いを間違いと気づくことも、ひとつの能力かもしれなくて、それが無いからダメでも、悪い、でもないんだけど、
(習慣や訓練によって身につけられることではあると思う)
悲しいかな、「私」と「相手」には少し距離ができてしまうかもしれない。
具体例をひとつあげると、私は花粉症ではないのだけど、長年ある人から、「花粉症でしょう、大変ですね」と言われ続けたことがあり、
そこに全く悪気はないのだけど…そこには諦めという壁がそっと築かれた。笑
よく言うよね、愛の反対は憎しみではなく無関心、って。
知ろうとすることは愛だなあ、と思う。
世界は知りたいことで溢れていて。
いくつになっても先入観を持たず、こころを開いていたいなんて、日の出が早くなったことを感じる朝に思っていました。
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