コクトーの「恐るべき親達」(1948)

ジャン・コクトーの「恐るべき親達」は、「オルフェ」のスローモーションと逆回しや「オルフェの遺言」の話のわからなさと比べると、かなりまともに作られているので、かえって面くらいます。自分のヒット舞台劇が原作。登場人物は5人だけで、舞台も2つのアパートだけ。この5人がみんな主人公のようなものなので、誰を中心に話を再構成すればいいのか迷ってしまいます。

22歳の若者ミシェル(ジャン・マレー)は25歳のマドレーヌ(ジョゼット・デイ)と結婚したいと家族に言う。彼の家族は、父ジョルジュ(マルセル・アンドレ)、母イボンヌ(イボンヌ・ド・ブレ)、叔母レオ(ガブリエル・ドルジア)で、ジョルジュは息子の相手が自分の愛人だということに気づき、レオに相談する。レオは若い二人を別れさせるようウソをつくことを勧める。

両親と叔母がマドレーヌのアパートを訪れると、マドレーヌはジョルジュの姿を見て、卒倒しそうになる。マドレーヌと二人きりになったジョルジュは、第三の愛人がいるとウソをつかなければ、自分との関係をミシェルにばらすとおどす。ミシェルは、マドレーヌに第二の愛人がいることは知っており、彼女がその愛人に別れ話を持ちかけることで納得していたが、第三の愛人の存在を知り、絶望する。

レオからミシェルとの関係を修復するよう勧められたマドレーヌは家族のアパートを訪ねる。レオはジョルジュにマドレーヌをあきらめるよう説得する。ミシェルはマドレーヌとの再会を喜ぶが、ミシェルを溺愛している母イボンヌは死を選択する。

父と息子が同じ女性を愛してしまうあたりは喜劇です。しかし、もともとジョルジュが好きだったのに姉妹のイボンヌにとられてしまったレオの複雑な心境や、最後のイボンヌの死といった悲しみもあって、悲喜劇と呼んだほうがいいような気がします。

植草甚一さんの「映画だけしか頭になかった」の中に「恐るべき親達」に関するエッセイが収録されています。鍵穴からのぞいたように一家の様子を描いた映画で、特に、ある物や顔のクローズアップから別の物や顔のクローズアップへと素早くパンするのをほめています。今見るとさほど印象に残らないかもしれませんが、当時は珍しかったのかもしれません。音楽の使用についても細かく書いています。私の印象では、ときどき思い出したように断片的な音楽が聞こえてきて、まるで虚構内の隣室で誰かがピアノの練習をしているように聞こえます。ゴダールによる異化効果のようにも聞こえます。音楽はジョルジュ・オーリック、撮影はミシェル・ケルベ。

DVDはジュネス企画から発売されている日本盤で、画質は良いです。

2013年3月14日

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