日本人の戦争観の特殊性のこと


日本は「外国に攻め込まれて否応なく自国内で始まった戦争」を元寇以来経験していません。元寇より後の外国との戦争は、日本の時の政権の意思決定により、日本の国外で開始された。という理解が、少なくとも高校までの社会科を学習した日本人の標準であると考えられます。

その結果として、日本人が戦争に関連すること、例えば軍備や安全保障に関する条約締結などの議論をするときに、「日本が能動的に戦争を始めることを意思決定しない限り、日本が当事者となる戦争は始まらない」という思考上のバイアスがかかっているのではないか。という考えられる意見や、そのような思考上のバイアスが正しいこととするならば論旨が整合的になる意見が見られます。

少し前に、講談社の関係会社が「はじめてのはたらくくるま」と題する幼児向けの図鑑に自衛隊の戦闘機や潜水艦や戦車などを掲載して出版したものが市民団体のクレームを受けて販売を取りやめた。という出来事がニュースになった際に、講談社を批判して市民団体のクレームを支持する発言には
「幼児に軍事関係の情報を与えると戦争につながるからよくないことだ」(要約)というものが相当数見られたように覚えていますが、この支持論も、
「軍事に関する情報を与えない→軍事に関することを考えることがなくなる→能動的に戦争を始めることを考えないだろう→日本が当事者となる戦争は始まらない」
という論理展開をしているからなのではないのかな。と感じつつ見ていました。

自衛隊廃止論も、この思考法の元では論理的な整合性がある主張になるのでしょう。


ただし、「外国に攻め込まれて否応なく自国内で始まった戦争」を始めることを数百年にわたって経験していない国というのは世界中を見渡しても稀有な存在で、先に上げた思考上のバイアスを抱えているタイプの人は全地球人の中で非常に少数なので、それを意識せずに議論を始めると全く話しがかみ合わないことになるのは必定です。



なおこの考察は僕がオリジナルに思いついたようなものではなくて、故小室直樹先生が著作の中で言及されていて他にも論考されていた学者がいたと記憶していて、終戦の時期に僕の中でよく思い起こされるものです。



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