見出し画像

三国志後伝の挿絵と人物紹介18

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、該当する人物の人物紹介にいきます。これは20枚ある口絵の18枚目です。
【注意事項】
 1回目を参照

口絵18

司馬肜(しばゆう)字:子徽(しび)

年齢:45歳ぐらい
血縁:司馬懿の第八子、司馬昭の弟
所属勢力:晋
智:4
武:3

晋王朝の王族です。梁王に封じられ、汴梁(べんりょう)を守っていました。弟の趙王(司馬倫)が斉万年に敗れたため、劉淵討伐軍の元帥に任命されます。討伐軍五万を率いて漢軍と戦いましたが、敗北します。また、援軍に来た周処と対立し、援軍を送らずに、死に追い込みました。その後も、孟観を無理に戦わせたため、晋軍が敗北を重ねる結果となります。傅仁に従い、北漢とは講和し、その功績で加増されています。郝元度軍に囲まれた張光への援軍を派遣して、彼の忠誠を称え、起用を求めるという一面もありました。

周処(しゅうしょ)字:子隠(しいん)

年齢:45歳
血縁:周魴の子
所属勢力:呉→晋
智:3
武:10

雪刃大刀(せつじんだいとう)の使い手です。虎や蛟(みずち)を一人で討ち取る勇猛な人物でした。陸晏率いる呉軍の先鋒となり、郴嶺(ひんれい)を守って、晋軍を破ります。晋に仕えてからは御史中丞となり、王族などの不正を取り締まっていました。劉淵軍討伐を命じられますが、元帥の梁王(司馬肜)に過去に弾劾したことを恨まれており、出撃を強要されました。劉淵軍の伏兵に会い、奮戦して北漢の武将を討ち取りましたが大敗し、梁王の援軍を得られずに戦死します。剛直でありますが、強情な性格でもありました。

許史(きょし)

年齢:30歳ぐらい
血縁:許褚の孫(許褚の次子の長子)。許坑の兄
所属勢力:晋
智:2
武:8

梁王(司馬肜(しばゆう))に仕えていました。弟の許坑(きょこう)とともに、梁王の牙将に任じられました。丈八長槍の使い手です。弟とともに万夫不当の武勇で知られていました。司馬肜の第一陣を任せられますが、劉淵軍を侮っていました。雍州で劉淵軍の斉万年と一騎打ちを行います。武器をお互いの脇に挟みあって奪い合いになりましたが、斉万年が槍を放したところで体勢を崩して落馬し、捕らえられました。

許戌(きょじゅつ)字:応婁(おうろう)

年齢:30歳ぐらい
血縁:許褚の孫(許褚の長子の長子)。
所属勢力:晋
智:5
武:9

鉅鹿郡の総兵(軍司令)です。張賓に、晋王朝の名将と評されています。極めて勇敢で力強く、重さ60斤(約48kg)ある二丈長槍の使い手でした。また、騎射にも優れており、祖父の許褚の風格を持っていました。城外に出て、北漢軍を迎え撃ち、一度は勝利します。劉霊と互角の一騎打ちをした上で、仕掛けた誘いにも乗りませんでした。渡し場を固めたものの北漢軍は筏で河を渡って常山郡に向かい、常山郡を助けようとして誘い出されます。敗北の上、北漢軍に退路を断たれて包囲され、関防に捕らえられました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?