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2003年~2009年頃における私の小説投稿・創作体験について

 こちらの続きになります。

この時期に私は小説の投稿を2004年と2006年に二度投稿を行い、落選しています。その後は心の整理のために自分のためだけに小説を書き、2009年に書くことをやめています。

小説の投稿を決意した理由について

 前回でお話したとおり、歴史趣味の読書だけでは飽き足らなくなり、また、中国史においてはネットの活動が困難と思い、小説を書いて投稿しようと考えたのが、2003年頃となります。
 小説で賞をめざしたのは、そうしないと反応が期待できませんし、うまくいけば、副業としての生計の足しになる上に、小説家になった上でのサイトやブログ開設なら訪れる人も多いと想定したからです。
 たとえ、小説の仕事がこなくなり、本が発行できなくなっても、ネットでただで読むぐらいの固定したファンがつくと考えました。
 また、当時はネットの小説投稿サイトは一応、ランキングはありますが、基本的にお互いに読みあって評論を加え、点数をつける場に過ぎず、ネット小説は基本的にネット上で簡単に読み捨てられるものであり、プロの出版される書籍とは大きく位置づけが違いました。
 そのため、現在のような小説投稿サイトでランキング上位に入り、出版社からの誘いを待つようなことは想定しませんでした。
 そこで、小説サークルとしてならともかく、自分が中国史を楽しむ場は作れないと感じたため、ネット小説の投稿は考えませんでした。
 また、ジャンルとして、ネット小説は、中国史ものや中華ファンタジーものは少なく、読者から敬遠されるであろうとも考えた次第です。

小説の勉強をはじめて

 ただ、それまで、小説は書いたことがなかったため、まずはその勉強をはじめることにし、小説投稿の書籍や書き方の書籍、文章の表現辞典のような書籍を10冊以上購入して読み始めました。
 今、考えてみると、文章の書き方に関する書籍については、間違いは書いていませんが、当時の書籍は文豪みたいな文章をライトノベル作家の方でも「良し」としており、多くの読者が望む小説の実態とはかけ離れていただろうと感じています。流麗な含蓄が深い文章は同時に漢字が多い、難解な文章であることが多く、多くの読者のニーズとは外れていたのではないか、と思います。
 ただ、当時の私はある程度はそういったものであると思い、辞書を開きながら、そのような漢字を多用した流麗な文章を真似しつつ、異義語や形容を巧みに使った文章をひたすら半年ぐらい勉強した記憶があります。
 私が紹介しても仕方ないとは思いますが、この時、読んだ書籍では、『小説を書くための基礎メソッド』と『福武国語辞典』はとても参考になりました。

小説の舞台とした時代について

 もっとも、さすがに中国史を扱った歴史小説は漢字が余りにも多すぎる上に、固有名詞や地名、官職に余りにもなじみのない言葉が多く、日本史でも特定の時代を舞台にした作品以外は売れていないことを考え、書くこと自体が難しいこともあって書くのをやめました。
 そこで、中国史もののライトノベルにしようと考えました。今でこそ、三国志はなんでもありですが、当時の史実にこだわる人が多い状況では、史実を外れた小説は難しいことと、三国志はありふれすぎているので、他の時代を題材にして、人物と文化を一部借りようと考えました。戦乱ものはかなり多かったので、平和な時代の治安維持や文化を扱うものがいいとも考えました。
 そのようにして、中華ファンタジーや比較的、文章が柔らかい中国史ものの小説を読んでいくうちに、中野美代子『契丹伝奇集』・バリーヒュガード『鳥姫伝』・『霊玉伝』・『八妖伝』、陳舜臣『長安日記』がイメージとして残り、こういったものが書きたいと考えるようになりました。
 小説家を生業にできた場合を想定して、いずれは時代小説にまで発展した作品を書きたいこともあり、また、全くの架空の世界を舞台にするのは、私としては望むところではないため、ベースとなる時代を選ぶ必要がありました。
 そこで、ある程度は固有名詞が知られて、とっかかりにできる時代は、
①春秋戦国時代(史記、諸子百家など)、②前漢時代(項羽と劉邦、司馬遷など)、③唐時代(西遊記、楊貴妃など)の3つしかないと考えました。
 平和な時代で、文化において三国志と差をつけるなら、三国時代よりも後世で文化が発達し、かつ、資料や研究も多い、唐代がよかろうと考えた次第です。
 同じ唐代で知名度が少しはある時代ということで、初唐(唐の太宗、玄奘、則天武后ら)と盛唐(玄宗、楊貴妃、李白、阿倍仲麻呂ら)がありましたが、平和な時代を舞台にしたかったため、李白・杜甫・王維といった文人も知名度がある盛唐を舞台にすることにしました。私もこの人物たちが同時代の人と知り、おどろいた記憶があったので、読者が漢文や世界史、日本史で知った人物が散らばっているため、よいだろうと考えたのです。
 そういうことで、盛唐を舞台にしたライトノベルを書くことにしました。

小説の取材のための書籍について

 そこで、小説を書くために題材をとるために様々な書籍を見て取材することにしました。当時はネットがまだ発達しておらず、余り役に立つサイトはなく、中国のサイトも発達していなかったため、書籍を購入して取材しました。
 歴史書関係はかなりもっていたので、購入する書籍はそれほどにはならないと思ったのですが、どうしても気になるところもでてきたので、数年間で、図録も含めて、おそらく100冊ほど購入しました。

 現在、wikipeidiaの唐の記事(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90)の半分ほどは私が書いた内容なのですが、こちらの参考資料をご覧になると当時、私が取材した書籍がお分かりになると思います。この大半は私も所有しており、これもこのとき数年で購入した全体の半数程度に過ぎません。

参考文献1

参考文献2

参考文献3

参考文献4

 実は、創作に生かすための当時の文化・生活・社会・風俗などの取材は、通り一遍で書籍を読むこととは意味が違い、かなりその知識を血肉にして小説に面白い味のある題材にしなければなりません。創作をされる方が往々にして、史書そのものの一字一句や学説への知識は別にして、文化などの理解を加えた総論的な理解では、歴史マニアの知識すらも越えることの理由が、分かりました。
 プロ・アマ問わず創作をされる方を、わずかな歴史書にある知識の齟齬や、読者のための平易化の工夫を勝手に間違えたものと考えて、匿名掲示板などで歴史知識自慢する人が批判や非難をすることが多いですが、実態は全くの勘違いや無意味なことばかりであると感じます。
 とにかく、現在の私が(意外に思われることがありますが)史料以外の知識を有している理由は、このときの経験からです。

当時の小説投稿に関する書籍について

 当時の小説投稿のためのノウハウが書かれた書籍を何冊も読みましたが、今、考えると、基本的な小説の常識的なテクニック以外は余り参考にならなかったです。当時は投稿において、下読みの方は正しい判断をしていて、賞を獲得する作品が最上位で、最終選考に残る作品がそれにつぎ、二次、一次でほとんどランク分けされると書いてありましたが、実際は落選の段階により、実力がはっきりとわかるというようなものではなく、同じ作品が一次で落選したり、最終選考に残ったりするようです。
 また、文章力で決まるとも書いてありましたが、実際は文章にそれほどセンスがない人が高度な文章を書く方が読みにくく、文法として成り立ちにくくなるため、センスがない人は読みやすい平易でスピード感やエネルギーを感じる文章を書いた方がいいです。
 ただ、これはそういった書籍を書いている方が的確なアドバイスを出来なかっただけではなく、当時はライトノベルでも売れる小説よりも文学的な作品の方が好まれ、選考委員や下読みの人もそれを重視していたため、多数の読者が好む作品よりも、文学的な作品や高度や文章の作品の方が受賞することが多かったようです。そのために、二作目を書けない作家が多いという現象が度々起きていました。
 私も2004年と2006年に、二度、落選した時にそういったことに気づいて、選考基準が曖昧と感じて、投稿することをやめました。
 私は(ネットで発達障害がある人に多いと言われやすいことですが)、どうしても誤字が多く、文法もうまく守ることができないことも分かりました。プロットにおいてのみは優れていると今でも自負はしていますが、それを読める文章に落とすにはかなりの訓練を必要とし、その訓練を行ってもそういった文章を書くことができない可能性もあると感じました。
 また、小説を書く過程において、小説を書く才能が溢れている方、それを書く情熱で人生を賭けている方がいることを知り、私は書かなくても生活には困らず、そこまでの情熱はないため、その方たちに機会を少しでも譲るべきだとも感じました。
 もし、奇跡的な幸運があり、私の才能を引き延ばせる方や引き立てる方、私の欠点を補ってくれる方がいても、ワンシリーズそれなりに売れる作品を書くことが限界であろう、とも考えました。
 これが、私が小説の投稿をやめた理由です。

反省を踏まえて、今もし、読んでもらうための小説を書くとしたら

 私が今、この時、小説投稿のために、どうすればよかったと思っているか、もし、私が自分が書きたいだけの小説ではなく、たくさんの人に読んでもらうための小説を書くならどうするつもりであるか、この時の反省を踏まえ、書いてみます。

 その1

 落選した理由を考えて、何度も書き直しはしません。当時はこのことを行う方が多く、私もそれにはまってしまい、無駄な手間をしてしまいました。書き直すと全て見直さないといけないため、実は膨大な時間を浪費します。落選した作品がダメとは限らないため、そのまま別のところに投稿すればいいです。そして、その間、別の作品を書けば、書く作品の幅を広げられる上に、チャンスを倍にできます。

 その2 

 題材は選びません。流行っているテーマで書くようにします。実績がない、飛びぬけた才能がない、特別なコネクションがない人が、自分が書きたいだけの作品ならともかく、他人に見てもらう作品を書くためには、そんな贅沢をいえる余裕などはありません。読んでもらえるようになってから、自分が好きな題材で書けばいいでしょう。飛びぬけた才能と言っても、小説投稿サイトのランキング上位では流行りでない題材の小説はほとんど入っていないというのが現実です。

 その3

 パクリと言われることを恐れてはいけません。どうしてもベースが同じである以上ある程度、かぶるのは仕方がないことです。多数の読者が求めるものは、「売れている作品の欠点を直した作品、あるいは別の面白い要素を加えた作品」であると思えます。そういった批判など恐れず、とにかく書くべきであると感じます。

その4 

 コメントなどで来る読者の批判は気にしてはいけません。文章の分かりやすさの技法については、確かに他の方に学ぶべきものが多いわけですが、それは専門の人や実績のある人にお願いすればいいわけです。ほとんどの批判する読者は、作者の調べた内容や文章のために検討した内容の実態など分りません。作者ほどの勉強をしている人はほとんどいないため、ただの読者の批判は好みから来たただのあてずっぽうに過ぎません。

 以上です。
 実際、これは小説投稿サイトなどではかなりの人がすでに実現しているように思えます。若い方たちの現実への割り切り方にはとても感嘆しています。

気持ちの整理のための独自創作とそれを公表しない理由

 二度目の投稿の後、はじめに投稿して書き直しをした作品については、最終的に全面的な書き直しを終えて、2007年に気持ちを整理しました。また、投稿を考えていた第三作についても断続的に書いて2009年に書き終えました。どちらも身近な人に読んでもらい好評をいただけましたが、あくまで気持ちの整理のための作品だったに過ぎません。
 ただ、私には読み返した上で上述した「センスのない人が無理に高度な文章を書いている」小説のように思え、現在の私としては気に入らない部分もあって、数年間の文章の訓練を経てから、改めて書くべきと考えていました。
 その後、文章が稚拙でも勢いで書く手法があることを知り、もう一度書くべきか迷ったまま、今に至っています。
 二作目の作品は、後発の商業作品で似た題材を見つけ、今となっては公表するに値する作品ではないなと感じました。
 これが、私が書いた小説を公表していない理由です。

小説の取材した内容を次につなげるために。wikipediaへ

 ただ、私が、小説を書く過程で調べた内容がこのまま失われ、参考文献とした書籍が完全に忘れられるのは惜しいとも思いました。盛唐は現在でこそ人気がないですが、戦前・戦後すぐでは「支那趣味」と言われる人から好まれた時代で、盛唐時代を題材とした多くの名著が生まれています。
 しかし、私がブログを書いてもネットの情報の海に埋没するか、サービス終了でデータが消えてしまうでしょう。
 そこで、色々と考えた末にwikipediaにできるだけその内容を反映させることにしました。まずは、盛唐の人物の項目の新規作成や改変にとりかかりました。これが2008年のこととなります。

 この時のwikipedia活動について語った次回はこちらになります。



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