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三国志後伝の挿絵と人物紹介27

三国志後伝にかかる、挿絵一枚につき、関係する人物の人物紹介にいきます。これは本文の挿絵の7枚目です。「孫秀傅仁に宝物を送りて一命を免る」と記されています。

登場人物は、孫秀、傅仁です。

【注意事項】
 1回目を参照

挿絵7

ここでの紹介人物は、張泓と士猗と司馬雅です。

張泓(ちょうおう)
年齢:30歳ぐらい
血縁:
所属勢力:晋→趙王政権
智:4
武:7
当初は王濬配下として左右護軍を劉弘とともに務めました。その後、趙王(司馬倫)に仕え、左司馬に任じられます。劉淵討伐時には、先鋒となり、折衝将軍に任じられました。槍の使い手です。夜襲では失敗しましたが、郝元度をおびきよせることには成功しました。趙王政権成立時には宮中の軍隊を率いることになります。趙王政権打倒を目指した諸王の決起時には、徴虜(ちょうりょ)将軍に任じられます。長沙王(司馬乂)の軍を抑えますが、斉王(司馬冏)らの軍に敗れ、張方の襲撃に遭い、敗北します。伊闕(いけつ)山に逃がれますが、汲桑に捕らえられて、処刑されました。

司馬雅(しばが)
年齢:25歳ぐらい
血縁:
所属勢力:晋→趙王政権
智:5
武:6
衛督将軍・殿中郎将に就任して、士猗とともに、太子の司馬遹に寵愛を受けていました。また、趙王(司馬倫)に仕え、劉淵討伐時に、護駕將軍に任じられます。槍の使い手です。突兀海牙らを討ち取りますが、趙王とともに敗北します。司馬遹を救うために、賈皇后(賈南風)討伐を趙王に勧めます。趙王政権に加わり、趙王政権の打倒を目指す諸王の決起時には一軍を率いて、斉王(司馬冏)の軍と対するが敗北します。張泓と合流して善戦しますが、張方の強さを見て逃げるところを斉王配下の王義に殺されます。


士猗(しい)
年齢:30歳ぐらい
血縁:
所属勢力:晋→趙王政権
智:5
武:5
槍の使い手です。始めは、趙王(司馬倫)の右司馬となり、王の軍が撤廃された後は、衛督将軍・殿中郎将に就任していました。再び趙王に仕え、劉淵討伐時に、右護軍・橫衝将軍に任じられます。他将との連携に巧みでありましたが、趙王とともに敗北しています。司馬雅とともに、賈皇后(賈南風)討伐を趙王に勧めています。趙王政権に加わり、趙王政権の打倒を目指した諸王の決起時には孫会の配下として成都王(司馬穎)の軍と戦い、石超と一騎打ちします。伏胤とともに、夜襲に備えていましたが、石勒によって討ち取られます。

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