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砂地のハゼ

つれづれつづり、シーズン2のお題は恋愛観についてです。今まで言語化することがなかったので、これもまた、自分を振り返る作業になりそうです。ブログを書くのも初めてだったシーズン1はやや緊張気味でしたが、ここからはちょっと気楽に綴っていきます。シーズン1とか2とか勝手に呼んでいますが、いいのかな。いいですよね。
とはいっても、地味な真面目ちゃんなのもあってか、華々しい恋愛遍歴はありません。大海原のマグロやカジキを尻目に、砂地でのんびりしていたハゼみたいなものだったので、浅瀬(稀にうっかり大海原)での、自分の恋愛観を醸造した出来事を振り返っていきます。
ハゼはユーモラスなところが好きなので、わりと自己肯定感高めの設定です。飼うとよく懐くし。あと、天ぷらにしても美味しいし。



恋愛観も年齢とともに変化しているので、高校時代から経時的に追ってみることにする。当時から、外見がかっこいいとか目立つかどうかよりも、人間関係のなかで垣間見える、その人の「人の良さ」に徐々に気づいて惹かれていくことがほとんど。そこから「ふと、守られていたことに気づいた」時に、はっきりと相手への好意に気づくことが多かった。
それまでは引越しや転校が多く「自分の身は自分で守る」感覚が身についていた。精神的に幼いながらも自立していたつもりでいたが、ふと「守られる」と、自分の弱さや踏ん張りを自覚して、ほろほろっときていたのだと思う。まさに、見た目はしっかりしているのに、お箸で切れちゃうお肉。

今でも鮮明に覚えている、相手への好意をはっきり自覚した瞬間は高校2年生の初夏。人に惚れた瞬間と言えるかもしれない。
友人が入院し、共通の友人と二人で、電車でお見舞いに行くときのこと。出発前にトイレに行きたかったが、反社会的勢力な容貌の方々が駅のトイレの前でとぐろを巻いていた。
「トイレ行きたいけど、あれじゃちょっとな」
「じゃあ俺がついてってやるよ」
心臓がぎゅっときた感覚は今でも忘れていない。諸説紛々だが、脳だけではなく、心臓にも心は存在しているのではないかと思う。
のしのしと歩く彼についていき、無事にトイレも済ませることができ、お漏らしは回避できた。

学校の行事で指定される集合場所も、ほとんどは未知の場所で「良かったら、待ち合わせしてから連れてってやるよ」と、助けてもらうことも多かった。また、ゲイの多くがそうであるように、自分も球技が苦手だったので、放課後に彼に教えてもらうこともあった。一方で、そこそこ勉強ができる方だった自分からは、勉強を教えることが増えた。お互いに苦手な部分ができる相手を尊敬し、補い合うような関係となっていた。
おそらく、友人は思春期特有の、異性愛の前段階としての同性愛だったのだと思う。お互いにいろんな理由をつけて、一緒にいることが増えた。恋愛と自覚するにはそれぞれに罪悪感があったので、友人関係を砂糖漬けにして蜂蜜をかけてから粉砂糖を振ったような感じだ。今、これを書くために思い出していてもちょっとドキドキする。おや、なんだか活気が出てきた。これが回春というものか。

そんな関係だったので、相手のために何ができるかを真剣に考えていた。高校生なりにウットリはしていたが「英語の文法、こうやって教えたら分かるかな」とか、相手にしてあげられることに具体的に時間をかけていた。
その時の高揚感といったら、もう、凄まじいエネルギーを発していたと思う。もし、あれで発電ができたら、我が家の電気エネルギーを賄えていただろう(電圧の安定性は保証できないが)。
一方で、相手から何かしてもらうと、まだちょっと戸惑うことがあった。何だよ面倒くせえ。
それまで、家族も、異動先で、引っ越し先のご近所で、転校先で、それぞれに苦労していたが「みんなも大変だから」と家族の前でSOSを出さない習慣ができていて、家の外でも、そんな姿勢からなかなか脱却できなかったのだろう。
「いやいや、俺なんかより、もっと大変な人たちがいますから」思考。このあたりは40代の今もまだ影響していると思う。けしからんですな。

今でも、ひとり「SOSっちゃSOSだけど、自分で何とかします」という時に、ふと手を差し伸べられることや、相手がどこかしら尊敬できる部分をもっていることが恋愛につながるのは、高校時代の経験が確かな土台になっていると思う。
一方で、SOSを無意識に抑圧している人にもより強い魅力を感じるのは、高校時代に自分が憧れていた立場に、自分がなってみたい気持ちがあるのかもしれない。
尊敬できる人格者と、どこか危うさを抱えている人と。いま、内面的に全然違うタイプを恋愛対象とする背景は、この頃にあったのかもしれない。


では、今回は、こんなところで失礼いたします。
毎日暑いですね。水分しっかり摂りましょうね。

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