見出し画像

答えの出そうにない問い

つれづれつづりシーズン3、仕事についての最終回です。封建的でオッサン臭い職場を離れたあと、そうではない職場作りに関わりました。
その場所で、あらためて思ったことを綴りたいと思います。

最初の職場を退職した後、のんびりと就職活動をしていたが、どこも似たようなものだった。封建的な臭いがするのだ。臭う、臭うぞ。
嗅覚ばかりが鍛えられる中、友人から「新しく一から職場を立ち上げるから、一緒にやってくれないか」という依頼を受けた。そして、「まあ、自分色を出せるならやってみようかな」くらいの気持ちで引き受けた。隠れスローガンは「黒猫を黒猫と言える職場」。
私の位置づけは、社長にあたる人物の左腕。右腕にあたる友人と、社内のレイアウトを考えていたら、社長室が辺鄙な位置に配置されていた。右腕さんがさらっと説明した理由は「社長室は、従業員が社長の悪口を言っても聞こえない場所にしましょうね」。しかも、社長本人の前で言っていた。すげえ。

そんな思いで始めた会社は、大なり小なりのトラブルを経験しつつも、オープンで風通しのいい組織に育っていった。もちろん、社長の悪口は出たが、権力で押し切られる理不尽や、権力にすり寄る必要がない分、ムラ社会独特の陰湿な空気が生まれることはなかった。
ただ、そのぶん、白熱する議論は避けられず、多くのエネルギーを必要とした。しかし、個人的には、こちらにエネルギーを使うほうがずっと健全だったと思う。

会社がどんどん大きくなっていく中で、ある日、コッテコテのサラリーマン出身の上司が入社してきた。体育会系、はつらつ、強引。その翌日に彼から受けた相談は、「あなたの部下が、さらに上の立場にある私の言うことを聞いてくれない」というもの。事情を聞くと、論理的に破綻した根性論のみの指示で、そりゃ無理だろう、という印象だった。彼のほうが肩書が上なのに、私のほうが信頼されているのも気に入らないようだった。そんな、2日目だし、しょうがないじゃん。

彼はしばしば「男の世界」という言葉を口にしていた。悪い意味での男性性である、根性、権威主義、暴力性、自己犠牲…によってやや強引に進められる、偏った世界。そして、当時の職場を「ここは男の世界じゃないですね」とも評価していた。自分自身、この頃はセクシャリティに関しては開き直っていて、職場全体と、取引先のいくつかにもカミングアウトし、ゲイであることを逸脱とは感じないようになっていた。きっと、あそこは、知らず知らずのうちに創った「オカマの世界」だったのかもしれない。

話は少し変わるが、当時の自分は在宅医療にも関わり、本当に多彩な層の人々に触れていた。そのうちの一人は、精神疾患をもつ、まだまだ若い女性。寝たきりで、全く動かない、話さない方だった。発症のきっかけはここには書けないが、とても深刻なもの。ご家族の一番の依頼理由は「世の中には、悪意のない男性もいることを実感させてあげてほしい」。
当方で「女性に性的な意識を持ちようがない、あなたが適任」という話になり、セクシャリティについては説明せず、介入することになった。

とにかく、身体の機能をよくすること、全面的に味方であること、世の中には楽しいこともあると示すことに注力した。反応はなかったが、自分の日々の暮らしの出来事を話したり、どんな状態でも生きている価値があることを伝えたり、下手くそなモノマネをしてみたり。たまに、価値観の違いにより、ご本人の前でご家族と議論したりもした。
そして、理由は全くわからないが、状態は劇的によくなり、歩いて出かけるようになるまでに回復した。言葉を発することはなかったが、はにかんだような笑顔を見せてくれるようになった。

彼女はいわば男性性、男らしさの被害者でもあったといえるかもしれないが、それらはかつて、自分がゲイだとバレないように纏っていたもので、恋愛対象に求めるもので、ストレートに擬態するためにも、モテるためにも、切望していたものだ。それでも、どうしても身に付けられないものだった。
しかし、自分にそれらが伴わぬことが人を助けたらしい状況、男性性がむしろ忌まわしく作用する環境との出会いは、男性性について自分に再考させるきっかけとなった。

そして、彼女との出会いは、人の価値や、生きていることの価値は何によって決まるのか、を自分に再考させるようになった。
寝たきりの女の子には、価値がないのか?
仕事ができない状態の人は、価値がない?
ならば、この世界は、働ける人のためだけにあるのか?
そもそも、何のために仕事をしているのか?

まだ、自分の答えは出ていないけど、
これからも毎日を細々と積み上げているうちに、見えてくるのかな。

そんなことを考えながら、オカマ性を発揮し、明日も汗水たらして働きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?