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31→1

平成31年。

あと少しで平成が終わり、新しい年号になるという。
その年号が「令和」だと知ったのはネットで配信されたニュースだった。
Twitterでもその話題が流れていき、何やら万葉集が関係しているという。平成おじさんの時のように、現官房長官が発表したシーンはTwitter大喜利のネタにされてタイムラインをたくさん通過していった。

平成を振り返ると、まだやっぱり鬱々とした感情が起こる。
そんな悪かったことだけじゃないはずなのに、いいことだってきっとあっただろうに。思春期から始まった平成は、終わる頃にもまだ思春期で、相当こじらせたまま40歳を過ぎてしまっていた。大人になれてなかった。

フリをして生きてきたことにきちんと向き合えたのは、30代後半。相当な底付きを感じることができたから。きっかけは前回の鬱のように仕事。でも、激務ではなく人間関係だった。合併だの吸収だので別の組織の人間が一つになれば摩擦は起こる。同じくらいの年の自分ともうひとり、自分ではないほうが選ばれた。「彼は結婚しているしね、君はまだ独り者だから。」オフレコっぽく小声で言われたその言葉。だから?守る家族がいるから頑張れるのはわかるけれど、独身だと頑張れないの?家には一緒に暮らしているパートナーいるんだけど!とも言えず。そこそこ頑張ってきたつもりだったけど、ここで頑張っても仕方ないと何かが切れてしまった。

結局、うつの症状が強く出て、休職を経て退職。ひきこもり生活がはじまり、生きる気力はほぼなくなって、ネットも見ることができなくなっていた。家を出るのも数日に一回。何かしなきゃいけない、動かなくてはいけないという大きな焦りに対して、ほとんど体を動かせない。その差に毎日落胆して、生きていくことに限界を感じていた。同棲していなければ、きっと自分は死を選んでいたと思う。

そんな時、ある仲間が話を聞いてくれた。新橋駅前の細い階段をあがった喫茶店で、うんうんと話を聞いてくれた。その仲間もメンタルを患って長いという。自分の経験を話してくれた。いつぶり返すかわからないのも怖い、でも仕方ないからそうならないようにしている。そしてまた自分の話をする。うんうんと聞いてくれる。共感して自分の経験を話してくれる。それを繰り返して、カフェオレの氷が溶けきってその水も飲み干した頃に「それじゃぁさ…」とクリニックを紹介してくれた。そのクリニックはLGBTフレンドリーだから、なんでも話せるだろうと。予約の手はずをしてもらって一ヶ月後に行った初めての診察では相当長く話をした。ソーシャルワーカーさんとの面談では涙が止まらなかったのを覚えている。

それからデイケアがはじまった。認知行動療法や作業療法や利用者同士のミーティングや軽い運動など。平日は毎日通った。家(実家ではない)以外でこんなにありのままでいられるコミュニティに属したことはなかった。お互い(それはゲイに由来するものだけではなく)様々な悩みを抱えている。フリをすることに慣れてどの仮面が本当の自分なのかわからなくなっていた自分は、一つずつ仮面をとることからはじめた。時にそれは自信をなくさせたり、他人とぶつかり合うことをしたけれど、やっと一度仮面は全部脱ぐことができた気がする。そして、脱いだ仮面の中で自分にしっくりする部分を吟味して選び、つぎはぎして、大きすぎず小さすぎず自分自身にあった顔を新しく作った。

その顔は未だ完成はしていない。つぎはぎの部分がなめらかになるようにメンテナンスをしているところ。まだ足りないパーツもある。もしかしたら完成するのは死ぬ間際かもしれない。まぁ、しゃーない。きれいなデスマスクができればいいと思う。

底をついて這い上がってきて思うのは、自分の事に無頓着になりすぎていたんだなということ。気がつけばしっかり向き合わず、楽な方に逃げていた。その時その時に都合のいいようなフリをして仮面をかぶって、自分の本当の感情をうやむやにしていた。自分はそんなこと意識していないのに、そうなっていた。そう、意識せずにそうなっていることが一番怖かった。

次の年号が発表になって、平成最後の日。

友達と食事をした。結構な人数で、ワイワイ騒いだ。その後、行けるメンバーでゲイバーに行って年越しならぬ、年号越しカウントダウンをした。その瞬間その雰囲気に体を委ねながら「悪いことばかりだった平成が終わったんだから、令和は切りかえていこう。」と心の中で自分に言い聞かせた。数年前にズブズブの沼のそこにいた自分がそんなポジティブなことを言っているなんておかしくなって、少し責めすぎたかなと平成に謝った。

また底をつくかもしれない。もうそれは仕方のないこと。そうならないように早めに予防するしかない。前に言われたうつは治らない病気だという医者の言葉は半分あっていると今では思う。もう半分は、こう続けるとしっくりくると思っている。「うつは治らない病気だ。でも、気をつけていれば悪くはならない。」

日々のメンテナンスなんだと思う。
自分は鬱なんだと受け入れて、付き合っていくと決めること。完治はしなくても、それはそれでいいのだと認めること。完治ではないけれど、悪くない状態でいることができるのだと思うこと。自分の感情に目を向けて、自分の行動や動機づけを吟味して、受け入れられないものは変え始めること。自分の度量を、それ自身の大きさで見られること。自分を客観的に見られることが、自分を主観的に育てていくこと。

自分の人生がいつ終わるかわからない。ちょっと前くらいに折り返し点は通った気がする。それなら尚更もう半分はつらい思いはしたくない。幸せ(いやそれは贅沢か、極度に不幸じゃなければそれでいい)に生きるために、死ぬ時自分の人生も色々あったけど悪くなかったかなと思えるように、毎日丁寧に暮らしていきたい。

「令和元年」と書くのに慣れていくように、新しい生き方もだんだん自分に馴染んでいけばいい。そう思っています。



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