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平成元年。

新しい年号が「ヘイセイ」になったと知ったのは塾でだった。
2月上旬に中学受験を控える受験生で、冬期講習の真っ最中。
塾の先生が教えてくれたけど漢字を見たわけではないので
「ヘイセイ」が「平成」だと知ったのは夜に家に帰ってからだった。

正直なところ受験でそれどころではなかったので
「そうなんだ。」くらいにしか思わなかったけれど、
その前から感じている独特な雰囲気は察していたように思う。

少し前には国鉄がJRになって、海をまたぐ瀬戸大橋もできた。
もう少し前のつくば万博ではすぐそこに来ている未来を感じた。
前の年には大好きだったおばあちゃんが亡くなった。

何かが変わる雰囲気があったし、この区切りで何かが変わった気がした。
新しく何かが起こるような、リセットされるような。
なんとも言えない空気感が世の中にも自分にもあった。

***

3月に昭和63年度最後の昭和の卒業生として小学校を卒業して、
4月に平成元年度最初の平成の入学生として中学に入学した。

今までは片田舎の小学生だったのに、
電車で1時間半もかけて中学に通い始める。
周りは入試を勝ち抜いてきた強者ども。
小学校では成績が良かったけど、
入学してすぐの学年テストでは中の中。
自信は打ち砕かれた。

まず思ったのは「どうしよう、怒られる。」ということだった。
いい子でいないといけない、いい子でいないと見捨てられる。
そう思って生きてきた自分は不安で仕方なかった。
勉強をしていい成績にならなければいけない。焦った。
でも、それだけではダメだとも思った。

自分は何かの役割をやることにした。
学級委員はいきなりやりすぎなのでまずは図書委員から。
部活も特にやりたいものはなくて
結局決めたのは担任が顧問をやっていて勧められたものにした。
振り返るとわれながらコズルいと思う。

でも、そんなに意識してはいなかった。
気がつけばそうしていたと言うのが一番しっくりくる。

小学校でもそうだった。
幼稚園でもそうだった。
親に褒められるためには、成績はよくなくてはいけないし、
運動会はリレーの選手じゃないといけないし、
先生にも気に入られなければいけないし、
周りの友達からも信頼されていないといけないし、
近所の人にもいい子に見られないといけない。

小学校まではそういうキャラクターになれていた。
そのキャラクターが、1回リセットされた気分だった。
また作らなくてはいけないのかと思った。

中学ではうまくいくだろうか。
勉強はそう簡単には上位にいけない。
ならば、うまく友達付き合いをしなくてはいけない。
さらに、先生に気に入られないといけない。
平成元年の春はそんなことを思っていた。

***

その頃の楽しみは通学電車内で読む星新一だった。
ウォークマンは持っていなかった。
月曜日はジャンプが出るのでそれを読んでいたけど、
他の曜日はひたすら読んでいた。

ショートショートは電車で読みやすい。
乗り換えが2回あったので途中で区切りがつくのが便利だった。
お気に入りは、「おーい、出てこい。」という話。
突然できた大きな穴は底が見えない。
次々とごみを捨てることができた。
読みながら、宿題も捨てたいなと思ったりした。

でも、その話にはオチがある。
しばらくしたら一番はじめに捨てたゴミが空から落ちてくる。
その話の展開とオチに衝撃を受けた。
ますます星新一にハマっていった。

同じことが言えるかも知れない。

いらないものを穴にどんどん放り込んで、
簡単に処理したら結局つけはまわってきた。
この頃は自分の本当の気持ちを考えずにいた。
いつも他人の、特に親の目を気にして生きていたように思う。
目の前に起きたこと何もかも、自分の感情では処理せずに
きっとこうするべきなんだろうと思って生きていた。
自分の感情を簡単に穴に捨ててしまっていた。

***

なにか変わる感じがしていた平成元年に自分は、
変わりたいという気持ちだけはあった。
でも、実際に行動にはなかなかうつせなかった。

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